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なぜ銅鐸は「三種の神器」に加えられなかったのか…【邪馬台国=畿内】説から見えてくる"皮肉な事情"

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なぜ銅鐸が「三種の神器」に加えられなかったのかを考察します(写真:Daikegoro/PIXTA)
邪馬台国はいったいどこにあったのか――。古代史をめぐる最大の謎ともいわれるこの疑問に対して「畿内説」を取る駒澤大学名誉教授の瀧音能之氏ですが、一方で卑弥呼政権は畿内勢力によって誕生したわけではないとも指摘します。
ではなぜ卑弥呼政権は、当時まだ未開拓の地であった畿内で誕生したのでしょうか。その皮肉な背景について、瀧音氏の著書『発掘された日本神話 最新考古学が解き明かす古事記と日本書紀』から一部を抜粋・編集する形で考察します。

奈良盆地に造営された卑弥呼政権の新王都

天岩戸開き神話に象徴される北部九州と瀬戸内海東部・畿内の大連合によって誕生したのが卑弥呼政権である。

この卑弥呼政権には、アマテラス系統であり北部九州を代表する神聖王(卑弥呼)と、吉備のタカミムスヒ系統で瀬戸内海東部・畿内を代表する執政王(男弟)の二重統治体制でスタートしたと考えられる。

『魏志』倭人伝では、卑弥呼が立てられたのは188年頃とされる。タウポ火山の噴火から10年弱で卑弥呼政権は誕生したことになる。

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