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なぜ銅鐸は「三種の神器」に加えられなかったのか…【邪馬台国=畿内】説から見えてくる"皮肉な事情"

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卑弥呼政権では、このうち北部九州の銅剣・銅矛をはじめとする剣・鏡・勾玉のセットの祭祀が三種の神器に引き継がれ、ヤマト王権の勢力地に造営された前方後円墳は、瀬戸内海東部の円形周溝墓が発展したもので、墳丘上には吉備の特殊器台が起源と考えられる円筒埴輪が置かれた。

北部九州と吉備の祭祀文化が卑弥呼政権に継承される一方で、畿内を中心に広がった銅鐸祭祀は継承されず、記紀神話にも登場しない。そのため銅鐸はその使用方法はおろか、正式名称(当時どのように呼ばれていたか)もわかっていない。

銅鐸を破壊して別の青銅器に作り替える工房跡も発見

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纏向遺跡からわずか4キロほど離れた脇本遺跡からは銅鐸を破壊して別の青銅器に作り替える工房跡が発見されており、卑弥呼政権の誕生とともに畿内の祭祀文化は意図的に廃止され、銅鐸は廃棄されたことがわかる。

天安河原の神議に参加したイシコリドメは鏡作坐天照御魂(かがみつくりにますあまてるみたま)神社(奈良県磯城郡)に祀られ、鏡作りの祖神とされるが、これは鏡作りの職人が大和に移住したと考える方が自然だろう。

奈良盆地では約400の弥生遺跡が発見されているが、王墓と呼べるほどの規模や副葬品を持った特定個人墓は見つかっていない。

また奈良盆地最大の集落である唐古(からこ)・鍵遺跡に王宮が築かれることなく、纏向に王都が造営され、これと前後して唐古・鍵遺跡の環濠は埋められている。

おそらく、畿内は連合に加わるにあたって、北部九州と吉備に接収に近い形で奈良盆地を明け渡したのだろう。

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