【朝ドラ】「こんな本はこれ一冊にしてください」 やなせたかし、散々だった「あんぱんまん」の評判

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多方面で活躍したやなせもまた「どんな経験が何に役立つかわからない」と、たびたび実感したことだろう。

とはいえ、『詩とメルヘン』に掲載されているのが無名の人が書いた詩ばかりとあって、やなせも社長も売れ行きにはまったく期待していなかったようだ。

ところが、1万5000部も刷った『詩とメルヘン』の創刊号はたちまち売り切れて、5刷までいったというからすさまじい。好評につき、月刊誌として刊行されることになった。

数多くあるやなせの肩書に「編集長」が加わることになったが、自身はこんなふうに書いている。

「ぼくは編集長ではない。用務員のおじさんである。豆カットまで描いている。他の編集長はぼくよりも偉いから、豆カットを無料で描いたり、作品の選者なんかしない。その差だと思う」

なんでもやるのが、やなせ流だ。この雑誌を創刊したことで、いまいち自信が持てなかったやなせに、一つの確かな居場所ができたようだ。

「自分の城をもつことができた。漠然とした自分の仕事の中に、ひとつのやなせたかしという標札ができた」

『詩とメルヘン』を創刊した年に、やなせは「漫画家の絵本の会」も作り、絵本を手がける漫画家たちと集まっては、大いに刺激をもらったらしい。この会で絵本を作りながら、やなせはついに「アンパンマン」の絵本を世に送り出すこととなる。

発表当時は散々な評判だった「アンパンマン」

「『やさしいライオン』がなければアンパンマンも絵本化されなかったと思う」

後年にやなせがそう振り返っているように、ラジオドラマの『やさしいライオン』が絵本になり売れ行き好調だったことから、出版元のフレーベル館から、年に1冊、創作絵本の仕事が舞い込むようになったという。やなせはフレーベル館から『あんぱんまん』をリリースすることになった。

ただ、構想自体は随分前からあったらしい。5年前に書き下ろしの絵本を依頼されたときにも、『あんぱんまん』を書いたものの、ボツになった。「こんなものは童話とはいえません」と突っ返されたという。

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