テスラ「モデルS」最強仕様はここまでスゴい ついに日本上陸したP85Dに乗ってみた

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最初のブームは1960年代後半にアメリカの景気後退を受けて、バブルカー(超小型モビリティ)やEVが流行した。1970年代はオイルショックを、1980年代にはカリフォルニア州のZEV法をきっかけに、EVはブームになった。GMが「EV-1」を発売し、いよいよか!と騒がれたが、不発に終わった。当時はまだ鉛蓄電池を搭載していて、巡航距離が短いという課題があったからだ。リチウムイオン電池が普及し始めた頃でも、自動車を動かすほどの容量を積むと、電池だけで数百万円なんて時代だった。

「ロードスター」が世界に与えた衝撃

だから、2004年にテスラが「ロードスター」を発売したとき、1回の充電で394kmを走れることが大きな話題になった。実際、筆者は日本でテスト走行をしたが、300kmを越えるマイレージを刻んでも、まだ充電が残っていた。それでも、まだ誰もが今のように自動車業界におけるエコカーのイノベーターとなるとは想像していなかったはずだ。「ロードスター」の累計販売台数はわずか2500台であり、自動車メーカーと呼ぶのははばかられる台数だった。筆者が日本上陸前にシリコンバレーの一角にあったテスラ本社を訪れたとき、バックヤード・ビルダーさながらの雰囲気で人間が組み上げていた。

ただし、エコカー=スロー・カーと思われていた時代に、スポーティなEVを登場させたことで、プレミアムセグメントのエコカーというカテゴリーを生み出した。そして、次なるセダンの「モデルS」が累計で8万台を超えるヒット作となったことで弾みがついた。

イーロン・マスクCEOが登壇して、新型モデルXの魅力を語った様子はアップルのプレゼンテーションを彷彿とさせる。ただし、イーロン・マスクは、ジョブスほどのプレゼンテーション・マスターではない。いくぶんうつむき加減で、あまり大きくない声で話すのだが、観客席から拍手がわくと、プレゼンテーションを止めて、はにかんだ笑顔を見せる。筆者は何度かインタビューをしたことがあるが、記事から想像する「自信家のベンチャー創業者」とは遠く、「シャイなエンジニア」という雰囲気だ。

そのモデルXのプレゼンで面白かったのが、後席の説明に時間をかけていた点だ。EV専用の設計で床が低いうえに、ファルコン・ウィングを開けると、乗り降りできて、室内も広々している。普通のクルマの10倍もの大きさのエアフィルターを積んでいて、アレルギー物質やバクテリアを取り除く。病院の手術室並みにクリーンになるという。

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