「結局黒字化じゃないか」「メディアの責任は?」などの声も。《大阪・関西万博の運営費黒字化》万博批判をのみ込む「オール万博」熱気の正体

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カーゴカルトは19世紀のメラネシアで発生した現世利益的な信仰で、神々や先祖の霊が飛行機や船などを使って〈積み荷=富〉をもたらしてくれると考えた。これは白人たちが飛行機や船などでさまざまな物資を運んできた様子を見て、その白人たちを自分たちの先祖の霊だと解釈したことに由来する。

そのための飛行場をほうふつとさせる施設などを一生懸命整備したとされるが、これは「右肩上がりの時代」を象徴する行事を模倣する行為とよく似ている。

日本が一番元気だった1960~70年代の国家的イベントの再演で活気を呼び込むことにより、衰退した国家の再起動を図ろうという試みといえる。だが、当時とはあまりにも状況が違いすぎる。

社会学者のピーター・バーガーらは、「『船荷崇拝』は近代化が救済的意味で正当化されたよい例」と言ったが、これはもはや先進国ではなくなった日本の技術的・文化的な復権への切なるアピールなのだ(P.L.バーガー/B.バーガー/H.ケルナー『故郷喪失者たち 近代化と日常意識』高山真知子/馬場伸也/馬場恭子訳、新曜社)。

もちろん、以前ほどではないにしても建設業界などへの経済効果はあるし、観光客の増加により観光業界にも寄与している。とはいえ、もはや一国の衰退を止めるような力はまったくない。一人当たりGDPの凋落など世界における日本の相対的な地位の低下は、半年程度の国家的イベントの1回や2回でどうにかなるようなものではないのだ。

万博は「共通言語」

ではなぜ、国民の間では、万博に批判的なマスメディアを叩いたり、「オールナイト万博」をバズらせたりと、多くの人々が積極的ではないにしろ万博にポジティブな反応を示さずにはいられないのか。

それは今や万博が良くも悪くも「わたしたち意識」を作り出す「共通言語」になっているからだ。

その意味において「オールナイト万博」は、お祭りの中のお祭りといえるだろう。SNSの炎上も含めてその話題性で容易につながり、盛り上がれる連帯感、一体感のようなものになっているのである。

これは社会学者のジグムント・バウマンが、個人化した不安定な世界で共同性を紡ごうとする人々を「劇場の観客」になぞらえたことがヒントになる。

バウマンは「劇場にあつまる観客を、劇場の外にいるときとは比べものにならない均一な集団に変える」とした。「公演中、すべての目、全員の注目は舞台にそそがれる。喜びに悲しみ、笑いに沈黙、拍手喝采、賞賛の叫び、驚きに息をのむ状況は、まるで台本に書きこまれ、指示されているかのように一斉におこる」と(『リキッド・モダニティ 液状化する社会』森田典正訳、大月書店)。

「その間、人々の他の関心(かれらの統一でなく、分離の原因となる)は一時的に棚上げされ、後回しにされ、あるいは、完全に放棄される」「最後の幕が降りると、観客たちはクロークから預けたものをうけとり、コートを着てそれぞれの日常の役割にもどり、数分後には、数時間まえにでてきた町の雑踏のなかへ消えていく」――この期間限定ともいえる「わたしたち意識」を「クローク型共同体」と呼んだのである(同上)。

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