3万人が夢洲に取り残され、熱帯夜の状況下でベンチや人工芝で雑魚寝せざるをえなくなるなど、劣悪な環境で一晩を過ごすことを強いられただけでなく、飲料水の提供が午前4時以降だったことなど対応のつたなさが報じられている。
大阪・関西万博をめぐっては否定的な評価と肯定的な評価との対立が目立ち、黒字化のニュースや今回のような予期せぬ騒動を機に、SNS上などで意見の衝突がたびたび噴出する。
否定派は1250億円から2350億円に膨れ上がった予算超過の問題やメタンガスなどを示し、肯定派は約3兆円と試算される経済効果などを挙げる。
そもそも五輪や万博は、その性質上、都市開発などが絡む大規模な公共事業という側面が非常に強く、究極的には儲けを度外視している国威発揚的なイベントだ。
「巨大なイベントを開催すること」が最も重要
先の黒字化の話にしても、確かに運営費はペイできるというだけのことであり、高騰した建設費や10兆円に及ぶインフラ関連経費などを含めれば、最初から万博単体で費用を賄う考えではないことがわかる。
最も重要なことは、巨大なイベントを開催することに尽きるのだ。しかし、かつての1964年東京五輪、1970年大阪万博の頃とではかなり趣きが異なっている。
つまり、高度経済成長期におけるオリンピック景気や、6000万人を超える人々を動員し「日本中が万国博に明け、万国博に暮れた」という言葉が生まれたインパクトとは無縁だからだ。
2020年東京五輪(開催は2021年)の際に、このようなアナクロニズム(時代錯誤)的な点を揶揄して「カーゴカルト」(積荷信仰)だと評する向きがSNSなどで沸き起こったが、あながち的外れとは言えないところがある。
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