大恩ある主君・信長を「呼び捨て」…"人たらし"のイメージを覆す、豊臣秀吉の実は【エゲツない】素顔

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丹羽長秀は秀吉が天下人になる手助けをした人で、一説によれば100万石ともいわれる大きな領地を与えられていたのですが、その長秀が亡くなり息子の長重の代になると、「お前には100万石は無理だろ」と、領地と仕えていた家臣を取り上げられてしまいます。

このとき、丹羽家から奪った家臣のなかに、のちの五奉行のひとりになる、長束正家がいたわけです。結局、長重に残された領地は、加賀小松の12万石だけになってしまいました。

大幅に領地を減らされた蒲生秀行

『なぜ秀吉は信長を呼び捨てにしたのか』(宝島社新書)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

蒲生氏郷に対しても、奥羽を押さえる要として大きな領地を与えていましたが、その氏郷が亡くなると蒲生家の事情などお構いなしに、息子の秀行には「2万石だけを与え、他はすべて召し上げる」と言いだします。

さすがにこれは、「ちょっとかわいそうじゃないですか」と横槍が入り、撤回されました。

でも結局、秀行は会津92万石から宇都宮18万石へと、大幅に領地を減らされてしまいます。

当然そうなると家来たちも、みな浪人にならざるを得なくなってしまうのです。

このように、秀吉は大盤振る舞いをする代わりに削るときはごっそり削る、しかも、取り立てて悪い行いをしたわけでなくても、秀吉の都合でみんな取り上げるみたいなことをやっています。

だから秀吉の家来でいることは、相当リスクが高いわけですね。

本郷 和人 東京大学史料編纂所教授

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ほんごう かずと / Kazuto Hongo

1960年、東京都生まれ。東京大学史料編纂所教授。文学博士。東京大学、同大学院で、石井進氏、五味文彦氏に師事。専門は、日本中世政治史、古文書学。『大日本資料 第五編』の編纂を担当。著書に『日本史のツボ』『承久の乱』(文春新書)、『軍事の日本史』(朝日新書)、『乱と変の日本史』(祥伝社新書)、『考える日本史』(河出新書)。監修に『東大教授がおしえる やばい日本史』(ダイヤモンド社)など多数。

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