日本電産の後継候補が突然会社を辞めた事情 在籍した2年余りの間に何があったのか
就任当初は経営陣に「私は車の分野は素人だから基本的には任せる。そのキャンバスを用意するのが自分だ」と語っていたという。現在、カルソニックカンセイは過去最高の営業利益を2期連続で更新する好調ぶりだが、「その道筋は呉氏がつけたといって過言ではない」と、この幹部は評する。
そこから日本電産に移ったのが2013年。同年3月に親会社である日産の常務取締役への就任が発表されたが、それをひっくり返して日本電産への入社を決めた。
外部からスカウトされた人間として初めて日本電産の代表取締役となった呉氏は、車載や家電産業部門を担当。特に家電産業部門では、事業本部長として主導する立場となった。
日本電産に移っても、呉氏のやり方は変わらなかった。日本電産グループの関係者は「非常にスマートなやり方をする人。理詰めで物事を考える人で、厳しいことは言っても、無茶なことや間違ったことは言わない人だった」と、呉氏の経営を語る。
永守氏との間に生じた溝
ここまでは極めて順調に来た呉氏だったが、その成果は必ずしも永守氏の期待していたほどではなかったようだ。特に、事業本部長として関わっていた家電産業事業の収益性改善に苦しんだ。
「ひととおり事業を理解して、現場が限界近くまで頑張っていることがわかってしまうと、それ以上、無理を言えないタイプだった。自分の思っていた経営がなかなかできないことと課せられた数字責任の間で板挟みになっていたように見えた」(前出の日本電産グループ関係者)
そうした状況もあってか、2015年の6月に日本電産のCOO(最高執行責任者)職を外され、その3カ月後には「一身上の都合」により社を去ることになった。
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