「思いがけないお申し出でびっくりしております」絶滅危惧種イヌワシ研究の第一人者が驚愕した理由

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まぶちの森(赤色の部分)と下京津畑共有山組合の土地(青緑色の部分)の位置(国土数値情報を使用し、ごん屋が作成)
2025年4月5日、由井博士(左)と馬淵建設特別相談役の松田尚氏(右)が覚書を交わした(写真:協議会顧問で樹木医の大渕香菜子さん撮影)

地元の交流館で泊まり込み研修会、熱い議論を交わした

協議会が活動する京津畑地域には、廃校となった小学校の建物を利用した「京津畑交流館 山がっこ」がある。7月19日、そこに関係者が集まり、泊まり込み研修会が開かれた。

岩手県立大学総合政策学部の島田直明教授が国土地理院地図3枚を使い、京津畑地区の土地利用の変遷について説明した。

それによると、今回イヌワシ応援事業に活用するところは、1913年には草地で、放牧や採草に使っていた。1977年には馬の放牧地となり、2020年にはナラ、ミズナラ、カエデ、ブナなど広葉樹の林になっている。

イヌワシは山奥の手付かずの自然の中にいる――そう思っていた私が認識を改めたのは、最近のことだ。特に岩手県の北上山地では、かつてさかんだった林業など人の営みと共存する形でイヌワシは生きてきた。

東環研理事の佐賀耕太郎さん(74歳)は「農林業とイヌワシとの蜜月の時代があった」と話す。どういうことか。戦後、北上山地では拡大造林政策と大規模牧野造成が行われた。林を刈っていったん木がなくなったところに苗木を植え、それが大きくなるまでの数年間、そこはノウサギがいるイヌワシの餌場になった。拡大造林では順繰りにそうした餌場が生まれるし、放牧地も小動物が行き来する餌場だった。

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