《北斎が描いた蔦屋》暴力的なまでの画力を誇る“画狂”葛飾北斎と蔦屋重三郎の通説を覆す関係とは

蔦重と北斎の接点
大河ドラマ「べらぼう」の主人公は、江戸時代中期から後期に活躍した出版業者・蔦屋重三郎(1750〜1797)です。「べらぼう」には重三郎が関わった戯作者や狂歌師、浮世絵師が多数登場していますが、筆者が今後登場してくるであろう人物として注目しているのが、今に至るまで国内外で強い人気を誇る浮世絵師・葛飾北斎(1760〜1849)です。
「重三郎と北斎に接点があったのか?」と思う人も多いでしょうが、実は両者にはつながりがあったのです。
まず若き日の北斎が師事したのが「役者絵の人気を一躍高めた」とも評される浮世絵師・勝川春章。
春章は浮世絵師の北尾重政と共に『青楼美人合姿鏡』(吉原の遊女の姿を描く錦絵本。1776年)の絵を描いていますが、この作品を企画出版したのが重三郎でした(山崎金兵衛との共同出版)。北斎の師・勝川春章と重三郎は共に仕事をした仲だったのです。そうした事から当初「春朗」と名乗っていた北斎が重三郎とつながりを持つのは時間の問題でした。
芸者などが思い思いの扮装で狂言や所作事を演じながら歩くパレードに「吉原俄」があります。このさまは「べらぼう」でも描かれていましたが、吉原の年間行事の中でも重要とされるこの「俄」の絵を重三郎は北斎に依頼しています。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら