震災から何を学んだか--食の安全と放射能

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一方で朗報もあった。報道で店のことを知った作家の吉永みち子さんからの勧めで、兄の晋作さんは被災地復興を支援する事業への参加を決意。昨年8月に東京都内に期間限定で出店した店に手応えを感じ、今年1月中旬に品川プリンスホテル内に店を開いた。

もっとも、東京に出店してみると、「福島県産への風当たりは厳しい」と、晋作さんは痛感した。そこで、都内で販売するアイスクリームの原料は、相馬市の自家製牛乳の使用をあきらめ、長野県などからジャージー牛乳を仕入れている。

福島県に残る弟の雄作さんは、「最後まで手を尽くして牧場経営を続けたい」と語る。が、難題は山積みだ。

第一に牛の体力低下が目立っている。屋内に留め置かれたことでストレスがたまる牛が増加。弱った4頭は廃用牛になった。

第二に牛ふんの処理も難題だ。通常であれば、1頭平均で1日に10キログラムも出る牛ふんは堆肥を作るうえで欠かせない。だが、現在は放射性物質が含まれている可能性がある牛ふんを使用できないため、牛ふんは牛舎の裏の「堆肥盤」という施設にためておく以外にないのが実情だ。その堆肥盤も昨年8月には満杯になったため、牛ふんは牧草地に置かざるをえなくなった。

そして最も深刻なのが餌の問題だ。震災前は使用する牧草に占める自家栽培牧草の割合が8割と高かったことから、濃厚飼料などと合わせても餌代は月50万円程度にとどまっていた。現在は飯舘産の牧草を使用することでコストを抑えているものの、それがなくなった後は北海道などから仕入れることを余儀なくされる。ただ、酪農家は自分たちの牛に食べさせる分の牧草しか作っていない場合が多く、余ったものを売ることはまれ。雄作さんは12月から声をかけているが、いまだに売り手は見つかっていない。仮に見つかったとしても、餌代は運賃込みで現在の2倍以上もかかる計算だ。

農協からは輸入乾燥牧草の割合を増やすように勧められているが、「輸入乾燥牧草は自家栽培の牧草とは全然違う。栄養価がかなり低く、牛の健康を考えると輸入乾燥牧草だけにするのは好ましくない」(雄作さん)。かといって、「濃厚飼料を増やすのも牛の体調が心配でできない」(同)という。「近く酪農家同士で、牧草の奪い合いが始まるかもしれない」と雄作さんは危機感を抱く。

学校給食をめぐる軋轢(あつれき)

原発事故は、地域活性化に資する「地産地消」の暮らしにも深刻な打撃を与えている。

白河市内で農業を営む佐々木トミさん(70、仮名)は、原発事故後、地元の直売所での野菜の販売が激減した。「ハクサイ、キャベツ、ニンジン……。手塩にかけて育ててきたが、原発事故直後はハウス栽培のホウレンソウに限って出荷してもいいと言われた」と佐々木さん。その後はほかの野菜も販売できるようになったものの、「白菜を30個持っていっても売れたのは6個だけ。若いお母さんが来なくなった」(佐々木さん)。

地産地消の崩壊は、生活のさまざまな局面に影響を及ぼしている。

白河市で地元住民らが「しらかわ・市民放射能測定所『ベク知る』」をオープンさせたのは今年1月。1検体につき500円で食品などに含まれる放射性セシウムの量を測る(測定限界は30ベクレル/キログラム。ただし持ち込んだ人には測定限界以下の数値についても伝えている)。運営を担うのは、測定室所長を務める長峰孝文さん(47、畜産環境技術研究所の主任研究員)をはじめとする地元のボランティアだ。

その一人である地脇美和さん(41)によれば、「食品を持ってくる方の中には、自家菜園を手掛けている市民や農協を通さずに作物を出荷する小規模農家も少なくない。近所の農家から分けてもらった食材の放射能汚染が心配になり、人目を避けて持ってくる人もいる」という。

「あくまでも安全を考えるうえでの目安として測定値を示しているが、持ち込んだ農産物からセシウムが検出されたことにショックを受ける農家の方もいる」と地脇さんは打ち明ける。「あなたにとっては目安かもしれないが、自分にとっては生活できるどうかの境目なんだと言われて、農作物をめぐる問題の深刻さを痛感した」(地脇さん)。


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