つまり、現状よりも悪くなるシナリオしか想定できず、そのインパクトの大きさ、最後のショックの引き金が何か、ということが議論になるだけで、改善の見込みはゼロである。
それでいて、現状は前述のように、危機的、破綻は始まっているのだから、破綻は確定であり、逆から言えば、破綻を後から振り返ったとき、現時点2025年5月末には、それは始まっていたということになるだろう。
さて、ここまでの議論は、世間での財政危機議論とまったく違うことに気づかれただろうか。普通は「借金の額がいかに大きいか」「対GDP比何パーセント」などという話がまず出てくる。次には、金利負担が上昇し、長期金利が4%を超えれば警告、7%を超えたときが危機という感じの金利上昇による財政負担の話になる。
私の議論には、どこにもない。なぜか。これらの話は、財政破綻が起きるかどうかとは直接は関係ないからである。
「値下がりし続ける」と思われた時点で潮目は変わる
前述したとおり、財政破綻は、借金を引き受けてくれる先があるかどうかに尽きる。そして、日銀以外の民間投資主体は、国債を買うかどうかはリターンの見通しだけで決める。となると、日本政府が支払い不能になるかどうかよりも先に、民間投資主体が国債を「買いたくない」と思うときはやってくる。
それはいつか。単純に考えれば、政府が支払い不能になるという「噂」や「懸念」が広まると、だれも国債を買わなくなる、という銀行の取り付け騒ぎに類似した状況が想定される。
それはもちろんそうなのだが、それよりずっと前に、財政破綻はやってくる可能性はあるし、実際、日本の場合は、そのリスクは高いだろう。
それは、単に国債が今後値下がりすることだけで起こりうる。つまり、国債の値下がりが続くと、国債投資主体が予想するだけで起こる。「今日は1.5%だが、来月には2%になるかも」、と思えば、今日買う理由はない。とりわけ新発債入札に関してはそうだ。既発債の流動性の高いマーケットで少しずつ買えばよい。となると、新発国債の入札は不調に終わる。利回りが極端に高い水準で成立するか、まったく成立しないか、それを恐れて、財務省が入札を延期するだろう。
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