「そこまで言うなら、材料の残り分だけね」 お荷物商品で一度終売した「ブラックサンダー」。《50円以下チョコ》市場で王者になれた深い経緯

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しかし、小物チョコはカカオを使用するために「うまい棒」「タラタラしてんじゃねーよ」など”甘くない勢”に価格で勝てない。

子供向けの「スーパーBIGチョコ」「パラソルチョコ」などが値上げによって50円ラインを越えていき、大手のチョコ菓子メーカーは諸事情あって、このカテゴリに入ってこない(そのあたりの理由や推測、河合社長の見解は、前編記事「豊橋に爆誕『ブラックサンダー』施設に驚愕した訳」へ)。

50円以下カテゴリで、残るは「チロル・松尾製菓(2004年に販売・製造を「チロルチョコ株式会社」に分社化)勢vsセコイヤ・フルタ製菓勢」にブラックサンダー・「チョコケーキ」を擁する有楽製菓が加わり、中小企業どうしが闘う独自の市場が形成されていった。

ブラックサンダーの転機「白石さん」「北京五輪」顧客はオトナへ

製造工程
ブラックサンダーの製造工程。毎分864個がカットされ、ラインを流れていく(筆者撮影)

あくまでも駄菓子カテゴリの中にあった50円以下・小物チョコ市場で、ブラックサンダーは「オトナ需要」を切り拓いたからこそ、トップに躍り出ることができた。成功の背景には「2度の奇跡、1度の“マーケティング勝ち”」がある。

最初の奇跡は、2006年1月のこと。東京農工大の売店の「お客様カード」で人気を博していた「生協の白石さん」(白石昌則さん)が、「お菓子好きの間で密かに人気を博している」「知名度はないが、味はイナズマ級!」と、ブラックサンダーをブログなどで紹介したのだ。

子供だと躊躇する「30円」も、大学生にはたやすく出せこともあり、学生生協の一部では人気商品であったという。売店の店員でありながら、今でいうインフルエンサーであった白石さんの拡散は、ブラックサンダーが駄菓子を超えて「オトナのチョコ市場」の扉を開くきっかけにもなったのだ。

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