悲願のW杯優勝へ、「サッカー王国」清水復活の先に見据える"知将"反町康治の挑戦
これまでも清水は2020年入団の鈴木唯人(デンマーク1部・ブレンビーIF)のように光る人材を獲って大きく成長させた事例はあるが、その数をどんどん増やしていかなければ、川崎のような軌跡を歩むことはできない。後発のチームに追い越された分、ここからは斬新な取り組みを見せながら、巻き返しを図っていくしかない。それは反町GMら強化に関わる人材の手腕によるところが大なのだ。
そうやって地道な歩みを進めながら、いずれは静岡出身者を中心としたチームでJ1タイトルを取れるような強豪クラブを作れれば理想的だ。それは清水出身の反町GMらの大きな夢でもある。

“サッカー王国”静岡の栄枯盛衰
「1993年のJリーグのスタート時に『オリジナル10』の一員になった清水エスパルスは、何もないところから生まれたクラブ。全国屈指の少年団だった清水FCで育って、外に出て活躍していた長谷川健太(名古屋グランパス監督)、大榎克己(静岡県サッカー協会会長)や堀池巧(順天堂大学准教授)、澤登正朗(清水ユース監督)といった地元出身選手を呼び戻して、ゼロからスタートさせたのが始まりでした。
そこにシジマールやトニーニョ、オリバ、マッサーロといった外国人助っ人を加えて強化したというのが1990年代だった。これからの清水をそれに近い形にしようと思えばできないことはない。私はそう考えています。
実際、長谷川健太監督が率いた2005〜2010年のチームはアカデミー出身の杉山浩太、枝村匠馬、山本真希らに大卒の兵働昭弘(清水スカウト)、本田拓也(鹿島ユースコーチ)、高卒の岡崎慎司、青山直晃、岩下敬輔といった選手がうまく融合し、上位争いをしていた時期もあった。
アカデミー出身や高卒・大卒の生え抜き選手が中心の陣容で強いチームを作れるのなら、古参のサポーターを含めて、みんなに喜んでもらえる状況になる。極端な言い方をすれば、『オール清水』に近い形にできるように頑張っていきます」
反町GMが思い描くような状況がいつ現実になるのかはわからないが、本当にそういった状況を作れれば、静岡県出身の日本代表選手も増えていくだろう。
思い返してみれば、日本が初めてW杯に出場した1998年フランス大会の日本代表は22人中9人が静岡県出身者だった。東海大学第一高校(現・東海大学付属静岡翔洋高校)出身の森島寛晃(セレッソ大阪会長)を含めれば、2桁に上るほどの勢いがあった。
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