横浜・野毛が「IZAKAYAの聖地」「バーホッパーの楽園」となった仰天の経緯、仕掛け人と歩いてわかった「飲みベ表明バンド」が海外でウケた理由

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戦後の闇市をルーツとする野毛。かつては「労働者の街」で、地元の人でも近寄りにくい空気があったという。が、1989年の横浜博覧会を機にエリア一帯が整備され、若者からお年寄りまでが集う一大飲み屋街へと発展していった。

大勢の飲んべえが集まる「野毛ごえん」(写真:筆者撮影)

野毛飲食業協同組合理事長で、とんかつ店「パリ一」を営む田井昌伸さんは、この野毛の歴史を見守り続けてきた1人だ。

「2004年に東急東横線の桜木町駅が廃止されると、客足が途絶え、多くの飲食店が閉店に追い込まれました。それでも一大イベント『野毛大道芸』を毎年開催するなど、残った飲食店の仲間たちでこのエリアを盛り上げようと頑張ってきました。少しずつ活気が戻り、みんなが安心して飲食を楽しめる街になりましたね」

最近では各種メディアでも紹介される機会が増え、全国各地から「はしご酒」目当てで野毛を訪れる人も増えている。さらに外国人の「バーホッピング」需要もあり、インバウンド客も多く見られるように。“飲んべえの聖地”野毛での老若男女、さらに国境をも超えた人と人との交流はますます盛んになっている。

最初の構想は「ナンパお断りカード」だった

大手PR会社や総合広告代理店で大手企業などのPR戦略を手がけてきた小林さん。2023年にPRプランナーとして独立し、当初は横浜市内の自宅を仕事場としていた。

「#今夜のリストバンド」を企画・制作した小林秀行さん。本業はPRプランナー。背景は野毛エリアでも人気スポットの「都橋商店街」(写真:筆者撮影)

「1人で仕事していると、何気ない雑談が恋しくなりますよね(笑)。それに、PRとは社会と企業との接点をつくる仕事。人付き合いがビジネスだけに偏ってしまうのはよくないなと思って、野毛に通い始めたんです」

今どきのZ世代の若者とおじいさんがテーブルを囲み、楽しそうに会話に興じる。日本の縮図のように多種多様な人が「ごった煮」のごとく交流する様子を見て、祖父の代から「浜っ子」という小林さんも野毛の魅力を再認識し、足を運ぶ頻度が増えていった。

週に3、4回は野毛の街に繰り出し、年1回の一大イベント「野毛大道芸」のボランティアも手伝いながら、飲食店や常連客たちとのつながりを増やしていった小林さん。その過程で「この街に対して、自分の得意なPRを生かした手伝いができないか」と自然と考えるようになった。それが「#今夜のリストバンド」のアイデアの発端だ。

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