老人ホーム”で繰り広げられる≪人生最後の恋愛≫をかけた施設と入居者の攻防。職員歴10年の著者が見た”83歳の男と81歳の認知症の女”の実話

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そしてわたしと向かいあわせになると、体を寄せてきてシャツの胸元に触る。ダメッ、とさらに強く彼女の手を叩いてドアのほうを向かせる。目の前のドアを見て彼女はにこにこしている。

そんなさまを見ていると、彼女は殺されるときでもにこにこしているのではと思ってしまう。

自分の想像に恐いものがあるが、それは彼女の部屋に入ったとき具体的な想像になってしまう。

死を恐れずに幸せに死んでいく方法なのかもしれない

彼女のベッドは窓のそばにあり、窓が開いているとちょっと危険なものを感じるのだが、その窓から彼女を突き落としたらと想像してしまうのだ。自分でも恐ろしいことを考えると思いながらも、にこにこしながら落ちていく彼女の姿が見えてしまうのである。

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そして認知症とは、もしかすると人が死を恐れずに幸せに死んでいく方法なのかもしれないと思ってしまうのだった。

その福田サヨさんに元社長の森山栄二さんが恋をしたのである。

ついにわたしもふたりの現場を見てしまった。

夕食が済むと口腔ケアが済んだ人から順に2階の居室に誘導するのだが、うっかり森山栄二さんと福田サヨさんをふたりだけにしてしまった。

わたしがホールに戻ったとき、車椅子で福田サヨさんに近づいていった森山栄二さんが彼女の手を握っていたのだった。そしてふたりの顔がくっついていたのだった。

おそらく施設長も同じような場面を見たのだろう。

そして、「何してんのッ」と怒鳴ったのだろう。

福田サヨさんはいつものにこにこ顔で、森山さんとほっぺたをくっつけあっていた。その日、施設長の吉永さんはすでに帰っていたので大事にはならなかった。

「こらこら、何をしているの」

わたしの声に森山栄二さんは悪びれた様子もなく顔を離した。

福田サヨさんの手は握ったままだった。

83歳の男と81歳の認知症の女。

あと何年の命だろうと、わたしは考えてしまう。

人間、生きているかぎり、人のやさしさや肌の温かさを求めるものだろうに、30代半ばで独身の施設長の吉永清美さんには理解できなかったのかもしれない。

川島 徹 作家

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かわしま とおる / Toru Kawashima

1950年、鹿児島生まれ。大学卒業後、外資系企業に就職。40代半ばで退職し、作家になるための文章修業をする。50歳で帰郷。電気メーターの検針員のアルバイトをする。勤続10年でクビになり、老人ホームの夜勤の仕事を始める。著書に『メーター検針員テゲテゲ日記』(三五館シンシャ)がある。

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