政府を信じられない先進国の国民たち--リチャード・カッツ 本誌特約(在ニューヨーク)
信頼の危機が、日本の政治をますます困難な状況に追い込んでいる。民主主義が機能するには、国民が基本的なところで政府に信頼を寄せていなければならない。しかし日本の国民は、政府指導者が述べた単なる事実ですら、額面どおりに受け取らなくなっている。
たとえば、野田佳彦首相は昨年12月16日、原子炉が冷温停止状態に達したとして、福島第一原発事故の収束を宣言した。ところが日本経済新聞の世論調査によると、首相を信じていると答えたのは回答者の12%にすぎなかった。このように信頼が欠如しているからこそ、日本では政府が安全性を保証しているにもかかわらず、原発が次々と稼働停止されているのだ。これら原発がいつ再稼働されるのか、またはそもそも再稼働されるのかどうか、現時点ではわからない。
信頼の欠如は、消費税引き上げをめぐる議論でも垣間見える。増税分はすべて社会保障の財源として使う、と政治家が約束しても、有権者たちは、どうせごまかしによって無駄な公共事業に回されるのが落ちだ、と疑いの目を向ける。最近、野田首相が、論争の的となっている八ッ場ダムの建設継続を決定したが、それによってまた信頼欠如が増幅することになった。
迅速に対応しないと日本もギリシャをはじめとする欧州の債務国と同じ運命をたどることになる、という警鐘が鳴らされても、日本の有権者はこれに耳を貸そうとしない。国民からすれば、政府は債務問題については「オオカミが来るぞ」とありもしないことを言い募り、原発の問題に関しては逆に「安全だ」と言って国民を丸め込もうとしているように思える。