「フジ→文春」大衆の矛先が一気に変わった理由 世紀の誤報に加え、会見でのノイズ活用が効いた

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その一つが不倫や性加害などの性的スキャンダルの重視だったと考えられる。文春砲が「政治家や新聞などよりも権力を持っている」といった識者の発言が散見されるが、このような論評はSNSの圧倒的な破壊力とのシームレスなつながりを前提にしないと成り立たない。

週刊誌報道の"功"と"罪"

とはいえ、一連の週刊誌報道がなければ今回の性的スキャンダルとフジテレビのガバナンスの問題が表に出てくることはなく、また物言う株主(アクティビスト)による圧力も、海外メディアからの批判もなかった。

つまり、自浄作用が期待できない組織は、同様のショック療法に頼るしかないという厳しい現実がある。

そのような部分と、デジタルメディアの生態系における社会的制裁、社会的抹殺の問題は、アテンション・エコノミー(関心経済)という側面でリンクしているが、切り分けて考える必要があるだろう。

ダルトンからの書簡
ダルトンからの書簡
フジテレビの株主であるアメリカのダルトン・インベストメンツがフジ・メディア・ホールディングスに送付した書面(画像:ダルトン・インベストメンツHPより)

文春叩きは、長年にわたるマスコミ不信に根差したものだが、素朴な情報観が裏切られたことへの反発も少なからず影響している。

その深層には自分たちは常に正しい側にいるという正当性を脅かされることへの苛立ちと、善と悪の闘争の物語として理解したいという根強い欲求がうかがえる。そもそも情報というものは新たな証拠や追加取材などによって修正され、更新されるものであり、確定したものではない。

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