「中居正広とフジ」叩く人の"正義"に欠けた視点 厳罰を求める一方で、大事なことが忘れられている

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実際、私の相談者さんに、「性的被害を家族や友人に話したところ、自分事のように怒ってくれたのですが、それについて考えなければいけない機会が増えて、フラッシュバックしてしまうことがあった」という人がいました。

もちろん個人差はあるでしょうが、「当然、怒りや懲罰感情はあるけど、そっとしておいてほしい」「家族や友人が謝罪させるために相手と会おうとすることすらやめてほしい」という人もいるのです。

ネット上には、中居さんに「謝罪会見を開け」、テレビ局に「この問題を番組で扱え」と求める声であふれていますが、相手女性がそれを望んでいるかはわからず、むしろ逆に「やめてほしい」と思っているかもしれません。

そもそも一連の報道を見る限り、相手女性が中居さんに社会的制裁を下すために、週刊誌に告発したわけではないようです。示談が成立して守秘義務があるし、世間に知られたら自分の存在や行為の詳細が特定されてしまうかもしれない……。本人が語っていない以上、想像にすぎないでしょう。

「女性はさらなる社会的制裁を求めているだろう」だけでなく、「こういう事情があり、リスクを恐れているかもしれない」「女性の家族も騒動の拡大は望んでいないかもしれない」などと被害者保護の論点を並列して考えたいところです。

ネット上で女性の特定が進む中、中居さんに「会見を開け」、テレビ局に「この問題を番組で扱え」と思っている人は、「それが残酷な行為かもしれない」という意識が抜けていないでしょうか。決して「芸能界だけの話」とはいえない問題だけに、1人ひとりが他人事としてとらえず自分事のように考えられる社会でありたいものです。

被害者を置き去りにした暴走の危うさ

もう1つ、被害者保護の論点から指摘しておきたいのは、本人を置き去りにした暴走。

現在ネット上には、「他にも被害者がいるからこれだけで終わらせてはいけない」という声が増えています。「中居の被害者はもっといるだろう」「テレビ局に“上納”された女性がほかにもいるはず」などと決めつけて、真相を探る動きを作り出そうとしているのでしょう。

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