スズキを巨大企業にした鈴木修氏「娘婿の意地」 「中小企業のおやじ」が見せた経営への執念
スズキの歴史において鈴木修氏は、長きにわたり強いリーダーシップを発揮した「中興の祖」であり、最大の功労者だった。専務時代の1975年に自動車排出ガス規制への対応が遅れたため、トヨタ自動車の力を借りて建て直す。社長退任後はアルト(1979年発売)やワゴンR(1993年発売)などのヒット商品を生み、軽自動車市場の雄としての地位を占めるようになった。
さらに、海外でも積極的に事業を展開した。大手が出て行かない市場に進出すれば首位になれると考え、日本企業としては、いち早くインドやハンガリーへ本格進出し、現在も両国自動車市場でトップシェアを誇る。
豊田章男会長にとっても「憧れのおやじさん」
鈴木修氏が「憧れのおやじさん」だったトヨタ自動車の豊田章男会長は、「インドにおいては、スズキこそが大企業であり、トヨタは中小企業。地域によっては、『中小企業のおやじ』と言うのは気をつけてください、などと話ができるくらい親しくさせていただきました」と振り返る。
鈴木修氏が社長に就任してからの45年間でスズキの売り上げを約17倍に伸ばした。今や5兆3742億円企業(2024年3月期)になっている。
鈴木氏に限らず、優秀な娘婿が会社を大きく成長させた事例は少なくない。女性のリーダーがめずらしくない時代となった今、昔話に聞こえるかもしれないが、京都の商家では、娘が生まれると親は大変喜ぶ、と言われている。長男に跡継ぎを限定すれば、選択の幅が狭まるからだ。
今の時代であれば、娘を社長に娘婿をサポート役にさせるというトップ人事も良いのではないか。老舗旅館の女将さんシステムに見られるように、表は私、裏は僕、という日本的トップ人事という手もある。
一口に世襲といっても、同じ東アジアでありながら、日本と中国、韓国では大きな違いがある。儒教文化の歴史的影響や社会が不安定で家族しか信じられないという心理が熟成されたせいか、中国、韓国は「血」のつながりを重んじるのに対して、日本は「家」の持続的発展を優先し、必ずしも血縁でなくてもよいと考える。その結果、娘婿という制度が必然的に生まれたようだ。表面的には同族経営に見えるが、実態は能力重視型の同族内トップ人事と言えよう。
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