スズキを巨大企業にした鈴木修氏「娘婿の意地」 「中小企業のおやじ」が見せた経営への執念

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2019年3月期の決算記者会見に登壇した鈴木修氏(撮影:尾形 文繁)

12月25日、スズキ相談役の鈴木修氏逝去(享年94)の訃報に触れ、社長時代にインタビューしたときのことをふと思い出した。工場と隣接するスズキ(静岡県浜松市)の本社オフィスで待っていると、ネクタイを緩めた鈴木氏が走るようにして入ってきた。まさに、その印象はエネルギッシュな自称「俺は、中小企業のおやじ」だった。

「相変わらず、お忙しそうですね。貴重なお時間をとっていただき、ありがとうございます。どこかお出かけだったのですか」と話しかけると、「ネジ拾いをしていたんだ」といたずらっぽく微笑んだ。

まさに、1981年から2008年まで業務提携していたアメリカのゼネラル・モーターズ(GM)のジョン・スミス会長とリチャード・ワゴナー社長(両者・当時)に向かって言った「ボトムアップ・イズ・コストアップ、トップダウン・イズ・コストダウン」の実践である。

「経営への執念」が生まれた背景

この一言は、単なる節約志向ではなく、トップが落ちているネジ1本を見つけようとするほど、国内外の工場(会社)の隅々まで目を配る「経営への執念」を表している。

ではなぜ、これほどまで鈴木氏は執念を燃やすことができたのだろうか。その要因として、浜松市を象徴する方言である「やらまいか」で説明する人は多いだろう。

この言葉は「やってみよう」「やってやろうじゃないか」を意味し、新しいことに果敢にチャレンジする精神を表している。ホンダ、ヤマハ、カワイ、浜松ホトニクスなど、世界を代表する企業が相次いで生まれたのも、こうした地域性があったからと考えられる。

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