スズキを巨大企業にした鈴木修氏「娘婿の意地」 「中小企業のおやじ」が見せた経営への執念

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だが、鈴木氏にはそれ以上に強く働いた原動力があった。それは、インタビューしたとき以来忘れられない鈴木氏の一言に集約されている。「娘婿がこの会社をだめにした、と後ろ指をさされたくない一心で、これまで頑張ってきた」――。

1920年に鈴木道雄氏が「鈴木式織機」として創業したスズキでは、2代目の鈴木俊三氏(道雄氏長女の夫)以降、3代目の鈴木實治郎氏(俊三氏の実弟、道雄氏三女の夫)、そして1978年に4代目として就任した鈴木修氏(俊三氏長女の夫)に至るまで、歴代、娘婿(婿養子)が社長を務めてきた。幸い、鈴木家の娘婿は皆優秀だった。

スズキの歴代社長が持っていた「娘婿の意地」

スズキの社長たちにとって、娘婿という立場はいい意味でのプレッシャーになった。このような思いは、修氏だけでなく、歴代の娘婿社長が持っていたのではないだろうか。

つまり、「娘婿の意地」は、ファミリービジネス・スズキの企業文化として定着していた節がある。表層の競争力が軽自動車をはじめとする小さな車を創るノウハウや、大手が進出しない海外市場で生き残る知恵であるとすれば、深層の競争力は「娘婿の意地」といえよう。

5代目の戸田昌男氏と6代目の津田紘氏は非創業家出身。2人のサラリーマン社長が誕生した後も鈴木修氏は、2000年6月から代表取締役会長(CEO)、2008年12月から代表取締役会長兼社長(CEO&COO)、2015年6月から代表取締役会長(CEO)を務め、実質上のトップであり続けた。

2008年に鈴木修氏が社長を再び兼任することになったのは、2つの不運に襲われたからだ。1つは、次期(7代目)社長と目されていた小野浩孝取締役専務(鈴木修氏長女の夫)が2007年12月12日に膵臓がんのため52歳の若さで急逝したこと。もう1つは、津田氏が体調不良で社長を辞任してしまったというアクシデントだ。

結果、鈴木修氏の長男である鈴木俊宏氏がスズキで初めて血縁の社長になった。俊宏氏は1994年にスズキに入社。2011年に副社長に就任していた。鈴木修氏は2016年6月にCEO職を辞任、代表取締役会長のみを務め、2021年6月から相談役になっていた。

【2024年1月7日12時50分追記】初出時、鈴木俊宏氏の経歴に誤りがありましたので、上記の通り訂正しました。

鈴木俊宏氏(撮影:尾形文繁)
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