斎藤知事「パワハラ問題」謎に包まれたままのこと 斎藤知事「告発→失職→復活」までの経緯(上)
実際に8月30日の百条委員会でも、匿名ではない証言が相次いだ。20メートル歩かせたことで斎藤知事から叱責を受けた東播磨県民局長は、「強い叱責は想定外で、頭の中が真っ白になった」「社会通念上必要な指導ではなく、理不尽な叱責だと感じている」と陳述した。
県庁には、斎藤知事への苦言の電話が殺到した。中には暴言もあり、対応する職員の神経はすり減らされた。そうした中、大阪に激震が走る。8月25日に行われた箕面市長選で、地域政党・大阪維新の会の公認の現職首長が落選したのだ。しかも現職の上島一彦市長(当時)は1万8309票しか獲れず、3万2448票を獲得した原田亮元府議にほぼダブルスコアの差を付けられた。
斎藤氏が「追い出される」まで
これに驚愕したのが、斎藤知事寄りの姿勢を示していた兵庫維新の会である。兵庫県議会の自民党、公明党、「ひょうご県民連合」と共産党および無所属議員4人は、9月12日に斎藤知事に辞職を求めたが、兵庫維新の会はこれに参加せず、彼らに3日先駆けて、斎藤知事に辞職を求めている。
そしていよいよ9月19日、兵庫県議会で斎藤知事の不信任案が全会一致で可決された。百条委員会は続いており、第三者委員会からの報告は来年3月末に出ることになっていた。
にもかかわらず不信任案の決議を急いだのは、混乱する県庁を鎮めるという名目に加え、斎藤氏を追い出すチャンスと見なし、さらに斎藤批判の世論に安易に迎合したためだろう。
が、振り返れば反斎藤陣営の勢いはここがピークだったか。ここから陣営の足並みは揃わなくなっていくだけでなく、「風」も読めなくなっていく。
一方で斎藤知事は、“次”に向かって着々と準備していたようだ。不信任決議を受けた首長は、10日以内に議会の解散か辞職を選択でき、どちらも選ばなければ失職する。
不信任後の斎藤知事は、いったん登庁して記者のぶら下がりに応じた後、知事室に入ることもなく、県庁から姿を消した。「これからのことを弁護士などと相談しているのではないか」と、ある関係者は語っている。
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