佐藤駅長が預かる北の端、板荷駅にやってくると、シウマイならぬ「林業の町」の色がますます濃くなってくる。線路の両脇の山々はさらに近くに迫ってきて、駅前にはたくさんの丸太が積み上げられた会社がある。ここまで来れば、電車はずっと上り勾配。心なしか、東京都心よりも気温が低く感じられる。
山に挟まれた中に佇む板荷駅は、東武鉄道全駅の中でいちばんお客が少ない駅だ。なのに、小さなかわいらしい駅舎が佇み、最近まで駅員さんもいたらしい。これはいったいどういうことか。
「板荷駅には待避線があって、信号扱いをしていたんです。そのために駅員がいました。いまでは待避線をホームにしてしまったのですごく広いんです」(佐藤駅長)
乗降人員最少なのに広大なホーム
佐藤駅長の言葉に従って見てみると、確かに島式1面のホームは広々としていて、端っこに行くとホームの下に使われていないレールと車止め。
広いホームはまるで大きなイベント会場がある駅なのではないかと思うくらいだが、駅の周りは例の丸太を積んだ会社以外には取り立ててめぼしいものは見当たらない。駅の西側はもうすぐに山の中。駅舎のある東側こそ少し開けてはいるけれど、すぐに山が迫ってくる。
東武の電車はほとんどが、関東平野をひた走る。浅草からスカイツリーの麓を通り、北へ北へと駆けてきた日光線も、いよいよここまで来れば日光・鬼怒川エリアが目前だ。
鉄道がまだ通っていない江戸時代、歩いて日光を目指した人々も、鹿沼あたりで山が迫ってきてからは、「ああ、もう日光だなあ」と感慨深くなったのだろうか。木材とイチゴとシウマイ、そのほかに名物がいろいろある鹿沼は、日光の入り口の町であった。
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