橋下「大阪都鉄道構想」は、なぜ頓挫したのか 幻となった「なにわ筋線」と「関空リニア」

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当時、1兆円を超える有利子負債を抱える関西国際空港株式会社をどのように再建させるのか、国土交通省と大阪政財界を中心に大問題となっていたが、橋下知事は選挙前には特に考えを示していなかった。就任後も、関空の利用促進政策への補助金削減を語ったり、伊丹空港の廃止プランを披露して兵庫県、国土交通省との波風を立てたりした程度だ。

ところが、突然、なにわ筋線の話を持ち出してくる。「なにわ筋線が実現すれば梅田と関空が30分台で結ばれる」「大阪市内とのアクセスが改善すれば関西空港の経営難は改善する」とあちこちの会合や記者会見で訴えかける。

彼にどのような心境の変化があったのだろうか。

軌間や集電方式の違いを無視

梅田貨物駅東側に先行開業したグランフロントから梅田貨物駅跡を眺める。画面左側の大屋根付近の地下に北梅田駅が設置予定

なにわ筋線とは、難波付近~なにわ筋~北梅田駅(仮称)~新大阪駅に至る地下鉄構想で、JR西日本阪和線と南海本線と相互直通することが想定されていた。

当初は大阪市役所が建設推進に力を入れており、1989年の運輸政策審議会の答申でも採用されている。大阪駅北側にあった梅田貨物駅敷地24ヘクタールでの再開発構想が大阪の政財界で検討されており、なにわ筋線と北梅田駅は再開発の牽引役として期待されていた。

ただ、20年後の2009年になっても、なにわ筋線構想はまったく進展しなかった。建設費は試算で3700億円(1999年)とされていたが、大阪市も大阪府もその負担に尻込みしていたからだ。あと、梅田北ヤードの再開発計画が大幅に遅延していたことも大きい。梅田貨物駅の移転問題が遅れていたこともあり、先行開発区域とされた東側ですら工事に着手できていない。大阪経済を取り巻く状況もかんばしくない。

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関空アクセス線として四つ橋線西梅田駅の新大阪駅への延伸も検討されたが、阪神梅田駅やJR大阪駅の構造物と同じ平面のため工事の難航が予想される

橋下知事は2009年4月に近畿運輸局など関係団体を集めて、なにわ筋線に関する懇談会を開いている。「建設区間を北梅田駅~難波間10キロに圧縮すれば建設費を3000億円に抑えられる」「都市鉄道等利便増進法を活用すれば、国と自治体と民間で建設費を3分の1ずつ負担で済む」と前向きな発言をし、なにわ筋線ができれば、関西空港も大阪経済も劇的に改善できると主張した。

それでも、建設するムードにはなかなかならなかった。

関空アクセス鉄道を担うJR西日本、南海とも、「慎重に判断する必要」と「費用負担に限界」と旗幟(きし)を鮮明にしなかった。建設費の負担を押しつけられることを懸念したのだろう。

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