「内戦や武力衝突リスク」を左右する「3つの特徴」 2度目の紛争を回避した国の多くが持つ志向性
内戦は頻発する現象ではない。武力衝突の条件を満たす諸国についても、実際に事を構えるのは年間4%未満である。
だが、ひとたび起こってしまったら繰り返されるのが常である。
1945~1996年に勃発した武力衝突の3分の1以上は、その後2回目の衝突が起こっている。2003年以降、リビアとシリアを除けば、あらゆる内戦は「続きもの」にほかならない。それら運動(あるいはその現代版)の指揮を執る者は、地下に潜るか亡命するかし、不安の再燃や、政府弱体化を待ちわびることになる。かくして新たな運動に着手していく。
「紛争の罠」
かつての指導者や兵が世を去り歳月を経ようとも、古層の断裂はそのままであり、神話や物語は生き続けている。
とりわけ衰退した民族集団が2度目の内戦の主体となるのは、かつて不満の原因となった事態が未解決、もしくは悪化している場合が少なくないためである。
次代の兵士は、喪失感と共に生き、自民族がさらなる格下げを甘受するのを指をくわえて見てきた。そんな彼らが本来自分たちのものであるはずのものを奪還しよう、そう心に決める。クロアチア人とセルビア人は過去にいくたびも戦火を交えてきた。イラクでのスンニ派とシーア派もである。
モロ人とフィリピン政府間の武力衝突も、多くの集団が消滅するかと思えば手を替え品を替え生まれてくるの繰り返しだった。エチオピア、ミャンマー、インドも同じことをさんざん繰り返してきた。専門家はこの事態を「紛争の罠」と呼ぶ。実際に戦う人々には申し訳ないが、外部からウォッチする立場からは都合がよい。中国やアメリカのように、1回のみの内戦経験で済んでいる国からすれば、優良な他山の石だからだ。
2014年、筆者は世界銀行の委託で、まさにこの「紛争の罠」を研究する機会を得た。1945~2009年のあらゆる内戦調査の中で、判明したことがある。2度目の内戦を回避しえた国の多くは、統治能力の質的強化への志向性を共有していたということである。民主主義を倍にまで推し進め、その体制をもスケール・アップしていた。
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