兵庫県知事が全力で辞任を拒む「3つの拠り所」 「辞めるタイミング」を逃した大きなリスク

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5期20年を務めた井戸敏三前知事の後継者は、通算15年間も兵庫県政の中枢を担った金澤和夫元副知事だったが、総務省での後輩官僚だった43歳(当時)の斎藤知事に25万8000票も差をつけられて敗北した。

斎藤知事の応援に力を入れていた維新

勝因は大阪府財政課長だった斎藤知事に、維新の応援が付いたことだった。自民党本部からの推薦を受けた斎藤知事だが、日本維新の会は投開票日前日の7月17日に松井一郎代表(当時)と吉村洋文副代表(当時)がともに三宮駅前で演説を行うほど、斎藤知事の応援に力を入れていた。

「僕の時代に財政課長で来てもらって、吉村さんとは2年一緒に働いて、役所の中のお金の使い方のおかしいところは全部わかってますから、斎藤さんを兵庫県に、県庁に送り込んで、内向きのお金の使い方を改めさせましょう」

吉村氏の前に大阪府知事を務めた松井氏はこう述べて、維新と斎藤知事との“上下関係”を示唆している。斎藤知事もその期待に応えるべく、当選後は県立大学・大学院の授業料無償化など「維新流の政策」を忠実に実行しようとした。

さらには維新との関係が悪かった井戸前知事の痕跡を消し去るべく「新県政推進室」を設置。井戸前知事が計画した「新庁舎の建て替え」を取りやめ、「4割出勤」などを実施したが、職員の評価は芳しくなかった。

報道陣に公開された兵庫県の知事応接室で、展示された斎藤元彦知事が受領したとされる贈答品など(写真:時事)

こうしたやり方が、多くの県庁職員の心を斎藤知事から離してしまったに違いない。そしてそうした不満の鬱積こそが、騒動のきっかけとなった告発文書問題を生む土壌となったのではなかったか。

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