森永卓郎、岸博幸に感じた「余命の差」が生む余裕 日本経済停滞の「原因」については意見が一致

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私と同様に岸さんががん宣告を受けたこと自体は報道で知っていたのだが、余命期間は、相当長いのだろうなと思っていた。私の場合は余命4カ月との宣告を受けたので、いまでも1カ月以内に死んでもいいようなタイムスケジュールを考えて動いている。それに対して、岸さんの余命は、やはりずっと長かった。

同じランナーでも、短距離走のランナーと長距離走のランナーでは、走り方が全然違う。短距離走のランナーは、フルスピードで走ることだけを考え、ゴールまで息をする必要がない。

一方、長距離走のランナーは、いかに上手に息継ぎをして、体力を長持ちさせるかが勝負になる。今回の対談でも、このタイムスパンの捉え方の差は、明確に表れた。

私は、後のことを一切考えずに、言いたいことを自由にしゃべったのだが、岸さんのトークは実に見事だった。原発政策をはじめとして、岸さんとは意見が違う点はいくつもあるのだが、岸さんは私の意見を頭ごなしに否定しない。

意見が違うときに岸さんが多用した表現は、「森永さんの意見には半分賛成で、半分違います」というものだ。こう表現すれば、対立が深刻化せずに、対話が円滑に進む。

もう1つは、用語の選択だ。私は財務省のことを「カルト教団」と評したが、岸さんは「軍隊」と評した。実は言っていること自体は大きく違わないのだが、言われる財務省の立場にたってみると、「軍隊」までは許せても、「カルト教団」は許せないだろう。こうした岸さんのトークは、コミュニケーションの技術として活用できるので、読者もぜひ参考にしてほしい。

「分配の不平等」こそが、日本経済低迷の原因

そして、岸さんのこうしたバランス感覚こそが、メディアで長生きしようとするときの最大のコツなのだ。もちろん、私もその仕組みは分かっているのだが、残された人生が数カ月になり、息継ぎをする必要がなくなったので、バランスを取るのをやめたのだ。

その結果は、予想どおりというか、予想以上で、私はテレビの報道番組、情報番組からすっかり干されてしまったが、岸さんは活躍を続けている。テレビ局員の立場を考えれば当然だ。いまの森永は危なくて使えないのだ。

ただ、表現の仕方は異なるものの、2人の見方が一致していてうれしかったのは、この30年ほど、日本経済がまったく成長しなくなった原因が分配の不平等にあるという認識だ。

次ページ現状認識は同じでも、「原因」に対する考えは異なる
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