新幹線開業以外も激変「福井の鉄道」60年の記憶 SLから私鉄新型車まで、撮り続ける故郷の列車

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消えゆくSLとともに、北陸本線を走る特急・急行列車も重要な被写体だった。特急「雷鳥」や「しらさぎ」「白鳥」「加越」、そして急行「ゆのくに」「立山」「兼六」など、当時の北陸本線はまさに特急街道と呼ぶにふさわしい路線だった。

特急はグリーン車2両に食堂車を連結した長大編成で北陸路を駆け抜けた。生まれて初めて乗った国鉄特急が、在来線時代の「こだま」だった筆者にとって、ボンネット型の特急が北陸本線を走る姿は強い印象が残っている。

ボンネット特急 雷鳥
新緑のボンネット特急「雷鳥」。スカートの色が水色なのは極めて珍しい 北陸本線 今庄―南今庄 1976年5月(撮影:南正時)
急行ゆのくに ヘッドマーク付き
急行「ゆのくに」北陸本線 敦賀―新疋田 1977年3月(撮影:南正時)

特急は1978年10月ダイヤ改正(ゴーサントオ)以降、ヘッドマークがイラスト入りとなり、当時「ケイブンシャの大百科」取材で全国の特急やブルートレインを追っていた筆者はさまざまな列車を撮影した。北陸本線を走る特急列車はJR化後も重要な被写体であり続けた。

雷鳥 鳩原ループ 奇跡のすれ違い
特急「雷鳥」鳩原ループの出会い 北陸本線 敦賀―新疋田 1988年5月(撮影:南正時)

廃線のショック、そして新時代へ

だが1980年代の国鉄末期は、鉄道の衰退を感じる時期だった。特急は2両あったグリーン車が1両に減り、食堂車も廃止された。12両の長編成を誇った列車が8両に減車された姿は寂しかった。撮影を通じて「廃れていく国鉄」を強く実感させられた。

さらに、全国で国鉄ローカル線の廃線問題が浮上する中、筆者の原点ともいえる福鉄の南越線が1981年に全線廃線となったのは、福井の鉄道を60年以上見続けてきた中でもとくにショックの大きな出来事だった。

福井鉄道南越線 廃止直前 村国駅
南越線残照 福井鉄道南越線 村国駅 1980年9月(撮影:南正時)

1987年の国鉄分割民営化・JR発足後は、北陸路も少しはにぎやかさを取り戻した感があった。特筆すべきは、1989年に登場した「トワイライトエクスプレス」だ。招待を受けて初の運転に乗車したが、ホテルのようなスマートなサービスの豪華寝台特急が北陸を走ることは感慨深かった。JR化後、運行中は福井に帰るたびに撮影していた列車だ。1995年に「雷鳥」に投入された681系も優れた車両だと感じたが、北陸本線の文化でもあった「雷鳥」の名を「サンダーバード」に変える必要はなかったと思う。

トワイライトエクスプレス
豪雨の寝台特急「トワイライトエクスプレス」北陸本線 今庄―南今庄 2011年5月(撮影:南正時)
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