台湾政界の「変人」が引き起こした一大醜聞の中身 政治とカネの問題が繰り返される台湾政治の暗部
1987年に、威京グループが13億台湾ドルで購入すると、工業利用ではなく多目的用途に変更しようと計画する。この頃の台湾は経済成長の真っただ中にあり、人々の購買力が大きく上昇していた。今日、台北百貨店のモデルともいわれる日系の「そごう」が進出した時期とも近い。
1989年、現在の国民党の長老の1人である吳伯雄氏が台北市長だった頃、台北市は威京グループに同地の3割を公共施設として市に寄付するように要求する。さらに土地は周辺の開発に合わせ商業利用のみとし、住宅には使用できないことを求めた。
不可解な「容積率引き上げ」
当初、威京グループは市の3割寄付の要求に強く反対していたが、後に総統となった陳水扁氏が市長になる頃には、3割の土地を「台北偶戲館」という公共施設として市に還元することを進める。
ちなみに偶戲とは人形劇のことであり、台湾の伝統的な人形劇を世界に紹介する施設だ。そして、京華城ショッピングセンターも建設され、台北市で初めて工業用地が商業用地に変更、さらに商業施設が建設された例となった。
一方、2011年になると、威京グループは京華城に高級住宅地の建設を計画する。臆測だが、台湾の住宅価格が高騰していた経済情勢と関係していると考えられる。そして威京側は土地利用区分を住宅用地に変更するよう市側に申請する。
台北市側は専門の調査チームを組織して土地利用変更について各種調査を開始した後、住宅地への変更は可能だが土地の3割に限ると結論付ける。
実のところ商業用地から住宅用地への変更も台湾史上初の例だったが、威京グループは市に容積率を560%に引き上げるようにも要求したのだった。しかし、当時の郝龍斌市長ら市側は威京グループの要求を拒否。監察院も加わって調査や意見する状況に陥ったのだった。
柯氏が市長になると、監察院は住宅用地としての容積率560%を認める。それを受け市側も威京側の要求を受け入れることとなった。
ところが2021年、市は容積率560%どころか840%への引き上げを認めたのだった。
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