そばで聞いていると、私のほうが「あなたはそうおっしゃるけれど、実際は違いますよ。あなたは松下さんを誤解している。事実を何も知らないで、よくもそんなことが言えますね」と言いたくなることが多かった。
しかし、そのような見当外れの批判に対しても、松下は「なるほど、なるほど」と大抵は、うなずいて聞いていた。自分を批判する者であっても、そこまで大事にした人は珍しいと思う。しかも、ただ単に話を聞いているだけではない。いかなる話をした人でも、その人が帰った後、これもまた必ずと言っていいほど、その人たちを褒めた。
「なかなかいい人やったな」「若いのに、なかなかしっかりした人やったな」「いい話を聞かせてくれた。ああいう先生がもっとたくさんいるとええのになあ」「偉い先生やったな。さすが立派な、まあ、人格者やったな」
「いい意見が聞けた」
褒めるだけでなく、「いい意見が聞けた。ありがたかったな。あの人の言うとおりや」と、感謝の言葉を述べるのが常であった。それも口先だけの口調ではなく、いつも、心から感じ入ったような褒め方であった。
そしてまた、不思議なことに、松下を批判していた人も、私が門まで見送る間に必ずと言っていいほど、「やっぱり松下さんは偉いねえ」と褒めるようになっている。
強烈な批判をしていたような人が、松下幸之助という人間に接することで感動し、その後は松下幸之助の味方に豹変してしまうのである。そういう光景を私はずいぶん見てきた。
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