日本と中国が歴史観で分かり合えぬ根本理由 「日本のせいで遅れた」というコンプレックス

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かつて中国は圧倒的な世界最大の経済大国だった。英国の経済学者、アンガス・マディソンの推計によれば、中国のGDPは1820年には世界の32.9%。当時の中国を統治していたのは満洲人の清王朝だ。清朝は康煕帝から乾隆帝の統治期間(1661年~1795年)に「康乾盛世」といわれる最盛期を迎え、領土も最大規模に広がった。

満州事変の発端となった柳条湖事件の現場のすぐ横に建設された歴史博物館

アヘン戦争(1840~42年)以降の列強の侵略で没落した中国が「復興」を考えるときに、この時期をイメージするのは無理もない。世界経済での中国のシェアは20世紀に入ると1割を切り、それは鄧小平による改革開放政策の開始まで続いた。

だが、中国はかつての栄光を取り戻しつつある。マディソンの推計はモノの値段は世界中で同じだと仮定した「購買力平価」によるものだが、同じベースで世界銀行が算出したデータによれば2014年段階で中国の購買力平価ベースGDPの世界経済に対するシェアは16.6%。16.1%の米国をしのいで世界一になった。清朝以来の「世界最大の経済大国」への復帰は中国人のプライドを大いにくすぐった。

「日本の罪がいちばん重い」という中国の見方 

もっとも、中国の人口の多さを考えれば、世界経済での中国のシェアが2~3割程度あるのは当然ともいえる。それを長年にわたり妨げてきたのが列強の侵略であり、最も長期間にわたり中国と戦火を交えた日本の罪がいちばん重いという見方が中国には根強い。

1930年代には中国でも上海を中心とした長江下流域で工業化が進み、日本の1900年代初頭の水準に達していたとする研究もある。そうした近代化の芽が1937年からの日中戦争で摘まれ、経済発展が決定的に遅れたという思いが、中国が日本に抱く怒りの根底にある。中国人が日本経済を見る目にも、そうした屈折があることは知っておくべきだ。

そこから「強国」への道を再び開いたのが共産党だというのが、現在の中国を動かすストーリーである。共産党統治を支持しない人でも、「中国の近代化を日本が妨げた」という認識はだいたい持っていると見ていい。「いまや最盛期に復帰しつつある」という中国人の自信が、対外的な強硬姿勢につながりやすいのは容易に想像がつく。その最大のターゲットである日本が、中国が抱える被害者意識を刺激することは、非常に危険なことだということは覚えておいたほうがいい。

いまや中国は日本の貿易総額の2割を占めるダントツの経済パートナーで、ビジネスパーソンには彼らと付き合わないという選択肢はない。13億人もいるだけに、同じ中国人といっても多種多様の考え方をする人がいるのは当たり前のこと。それでも、彼らに共通する行動様式や思考のパターンはある。とくに歴史や文化を押さえたアプローチをしてこそ、中国人のつぼを押さえることができる。彼らと堂々と渡り合うためには、そうしたポイントをしっかり学んでおくことが肝要だ。

西村 豪太 東洋経済 コラムニスト

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にしむら ごうた / Gota Nishimura

1992年に東洋経済新報社入社。2016年10月から2018年末まで、また2020年10月から2022年3月の二度にわたり『週刊東洋経済』編集長。現在は同社コラムニスト。2004年から2005年まで北京で中国社会科学院日本研究所客員研究員。著書に『米中経済戦争』(東洋経済新報社)。

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