堀内:アメリカの大学教育についてうかがいたいのですが、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を書いたマックス・ウェーバーは、資本主義の精神はプロテスタンティズムの倫理から生まれたのだと言いました。その資本主義の精神というのは、結局アメリカに渡ったら一種のスポーツのようなものになってしまったと言っています。単純にお金が儲かるか、儲からないかということを競い合うスポーツのようだと。
私はアメリカの教育には優れたところもたくさんある一方で、どうしても資本主義的な匂いが強すぎるなと感じています。リベラルアーツ教育だとかいろいろといいことを言うのですが、最後のところでありとあらゆる問題をお金で解決しようという傾向が強すぎるように思います。
資本主義化したアメリカ教育の限界
私は、資本主義の究極の問いというのは、「それって儲かるの?」ということだと思っているのですが、アメリカの教育も結局のところ、かなりの部分が「それって儲かるの?」という問いに収斂してしまっているのではないでしょうか。
フェイフェイ:そうですね。「儲かるの?」「儲からないの?」という質問は、愚直でかわいい気もしますけど、その質問をイギリス王室やオールドワールドの社交界でしたら、もう次の晩餐会には声がかからないでしょうね(笑)。
堀内:合目的的な精神というのはアメリカの発展の原動力になってきました。しかし、これが行き過ぎれば手段が目的になってしまう恐れがあります。アメリカの影響で、最近の日本もアメリカに似た傾向が出てきていますが、目的に向かって一直線に突き進みすぎるというところが強みでもあり、弱みでもあるのかなと。
フェイフェイ:クーベルタンという近代オリンピックの提唱者は、実はラグビー校を視察したことで近代オリンピックの創設を志したということで、いまでもラグビー校にはその石碑が建っています。
オリンピックはご存じのようにプロは参加できません。アマチュアの精神というのはまさに堀内さんが指摘されたところで、プロはどうしてもゲームの手段が目的になることがある。ですから、彼らはラグビーフットボールのプロ化には最後まで反対していました。
スポーツのためのスポーツとか、ゲームのためのゲーム、お金のためのお金というのは、基本的に紳士的な精神とは反すると考えられるのです。