北陸新幹線を喜べない富山県民の複雑な思い

「金沢独り勝ち」をどう克服するか

金沢から東へ約58km、富山では、金沢ほどの喜びには染まっていない。背景には、北陸の歴史と文化に根ざす、地域の事情も横たわる。

「とにかく関西へ向かうのが不便になった」。多くの市民が口をそろえる。北陸新幹線開業に伴い、富山―東京間は最短3時間11分から2時間8分に短縮、上越新幹線・越後湯沢での乗り換えが解消された。その一方で、北陸と大阪を結ぶ特急「サンダーバード」は金沢―富山間の運行がなくなり、富山と関西を往来する旅客は金沢での乗り換えを余儀なくされることに。「大阪が遠くなった」不満が、「東京が近くなった」喜びを半ば打ち消している格好だ。

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富山駅に乗り入れる「セントラム」の路面電車。工事がまだ続く

市民の表情が冴えない理由のひとつは、金沢駅と異なり、富山駅一帯の整備がまだまだ続くことのようだ。公共交通の整備に力を入れる富山市は、市街地の大改造を進めている。まちを南北に分断する並行在来線「あいの風とやま鉄道」(旧北陸本線)と私鉄・富山地方鉄道を新幹線とともに高架化、さらに富山駅と富山港を結ぶLRT「ポートラム」と環状の路面電車「セントラム」を富山駅で直結させる。新幹線開業に合わせて、セントラムの富山駅乗り入れまでは実現した。しかし、高架化やポートラムとの直結が一段落するのは7年後という。

金沢への屈折した感情

7月初めに訪れた富山駅では、土産品の仮設販売所の撤去がようやく終わり、とやま鉄道の仮設ホームが新幹線ホーム隣で稼働していた。これらの光景が開業ムードに水を差すと感じた利用者は少なくないようだ。

しかし、市内でヒアリングを重ねるうち、富山のまちの成り立ち、そして金沢との「距離感」に由来する屈折した感情が、新幹線に対するやや冷めた視線の要因であるように感じられてきた。

城下町としての富山は戦国期にさかのぼる歴史を持ち、今も富山城趾公園が市中心部に残る。だが、歴史的街並みを大きな財産とする金沢とは対極の苦悩を味わった。太平洋戦争終結の直前、1945年8月2日に米軍の空襲を受け、市街地のほとんどが焦土と化した。一方で、インテックや不二越、日医工といった企業の本社が立地し、「ものづくりのまち」を強く自負する。新幹線開業の意義を否定しないまでも「金沢ほどには、新幹線で観光振興を図る必要はないのでは」という趣旨の言葉を市内で何度も耳にした。

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