4回金メダルの国枝慎吾が「障害受容」に至るまで 車いすテニスの前に打ち込んだスポーツの存在
近所の接骨院で赤外線治療をすると、さらに痛みが増した。そこから近所の整形外科にも行って入院もしたが、理由がよくわからなかった。いったん退院したものの、痛みで横になれなくなった。仕方ないので机にうつ伏せで寝ることもあった。
ゴールデンウィークが明けて、大きな整形外科に行こうとした朝、足に力が入らなかった。母がおんぶして車に乗せて、外来の受付まで行った。
歩けないことを知ると、医師の顔色が変わった。小児科で診察を受けるように言われた。
おなかがパンパンに腫れて、尿も出なくなっていた。MRIを撮ろうとしても、痛くて横になれない。母はそのときの医師の言葉が忘れられない。
「すごく強い痛み止めの注射を打たないといけません、ひょっとしたら心臓が止まるかもしれないので覚悟してください」
体が動かないようにガムテープでぐるぐる巻きにして、MRIを撮った。
「画像に白い影が見つかりました」。そう、医師に告げられた。
母が耳にした唯一の弱音
夜中に目覚めると、国枝は足を動かせなかった。
翌日、救急車で東大病院に搬送された。そして、その翌日、脊髄の腫瘍を取る緊急手術をした。
麻酔から目が覚めた。やはり、足はもう動かなかった。
国枝は手術をすれば、治ると信じていた。手術が終わったら、マウンテンバイクを買ってもらう約束もしていた。
母はどう説明するか、悩んだ。入院中、放射線や抗がん剤の治療が始まった。髪が抜け落ち始めた。
「つらい治療が終わったら、マラソン大会に出られるのかどうか。入院中、それが息子の一番の関心事でした」
いつまでも、隠し通せない。
ある日、息子がマラソン大会への意欲を口にしたとき、意を決して告げた。
「これからはずっと、車いすの生活なんだよ。だから野球もマラソンもできないんだよ」
それを聞いた息子の表情は覚えていない。ただ、どう返してきたかは、忘れない。