4回金メダルの国枝慎吾が「障害受容」に至るまで 車いすテニスの前に打ち込んだスポーツの存在
グランドスラム車いす部門で、男子世界歴代最多優勝を達成し、「車いすテニス界のレジェンド」と称される国枝慎吾さん。
その国枝さんが子供の頃に熱中したのは、テニスではなく、バスケットボールだった。テニスと出会うまでの国枝選手の幼少期を、初の自著『国枝慎吾 マイ・ワースト・ゲーム』で詳しく紹介している。
テニス、そして人生の向き合い方を決定づけた国枝少年の体験とは? 本書から一部抜粋・編集して紹介する。
異変が起きたのは小学校4年の春休み
1984年2月21日、東京都で生まれた国枝は、物心がつかないうちに、両親が一戸建てを購入した柏市に引っ越した。
母、珠乃に聞くと、長男の慎吾は幼いころから、運動が大好きだった。しかも、かなり得意だった。
「車いす生活になるまでは、とにかく体育が大好きで。ほかのどの教科よりも、もっといえば給食よりも、一番の楽しみは体育だったんじゃないかな。マラソン大会とかは燃えていました。速かったし、まじめに走り込みもする努力家でした。私も大会は見に行きました。学年で3位とかだったと思いますけど、1位が取れずに悔しがっていました。短距離も速くてリレーの選手でした。運動会も見るのが楽しみでした」
異変が起きたのは1993年、小学校4年に上がるのを前にした春休みの日曜日だった。
地元の少年野球チームに入っていた国枝は、その日に初めて高学年と一緒の1軍の試合に出る予定だった。
朝起きると、腰に激痛が走った。前日、張り切って猛練習をしたせいかと思ったが、あまりの痛さに試合に行けなかった。
トピックボードAD
有料会員限定記事
キャリア・教育の人気記事