クリエイティブの世界は「AIを使うアマ」が多数に 「人間の手によるもの」は少数のプロのみへ
私は写真を撮影される機会が非常に多い。しかし正直、スタジオに出向き、大勢のスタッフに囲まれ、長時間にわたり写真を撮られるのは苦痛だ。
そんなときもAIの出番だ。昔、撮った写真を、年月の経過などに合わせてAIに修正してもらえばいい。そうすればスタジオ代も撮影代もかからない。
普段着で過ごすことが多い私だが、AIによる加工写真なら、ネクタイ着用のスーツ姿だろうとタキシードみたいな正装だろうと、はたまた羽織袴だろうと自在だ。実際に着用するのは御免被りたいが、写真加工ならご自由にどうぞ、という感じである。
写真のみならず、イラストや美術作品などもAIが担う時代がやってきそうだ。いまは未熟だが、ものすごい勢いで進化しているAI技術で、プロ顔負けの作品の制作が可能な時代が必ず来る。
私も、画像生成AIのMidjourneyを使って架空のアパレルブランドを作ってみた。そこで扱っているのは、私が発案したパン屋「小麦の奴隷」をモチーフにしたキャップやパーカーなどだ。デザインも着用モデルも「Midjourney作」だが、いいものができたと満足している。
もしかしたら、AIは、人間のプロデューサーや監督と同等か、それ以上の作品を作るようになるかもしれない。人間のモデルもクリエイターも要らなくなる時代が来るという私の予感はかなり高い確率で当たるはずだ。
すでに「Vチューバー」の存在は社会的に認知され、受容もされている。「中の人」が何者なのかは聞かないというのが、Vチューバーまわりの不文律だ。
ならば、ある日突然、広告モデルがAIになったとしても、気づく人はほとんどいないだろう。クールならそれでよしであり、そのモデルが何者かなんて誰も気にしていないし、問わない。生身の人間だろうと画像生成AIが作り出した人物像だろうと関係ないのだ。
「優れたプロフェッショナル」の需要はなくならない
ただし、プロの写真家やイラストレーターや画家が、この世から完全に消滅することはないだろう。デジタル時計が普及しても、アナログ時計の需要はある。オートマチックの車のほうが運転は楽なのに、マニュアル車はこの世から消えていない。
これと似たようなことだ。つまり、どれほど生成AIで精度の高いクリエーションができるようになっても、「人間の手によるもの」に対する需要はなくならない。そして、ここでいう「人間の手によるもの」とは、「極上のプロフェッショナルの手によるもの」である。
クリエイティブの世界は、「AIを使うアマチュア」が大多数になるなか、少数の優れたプロフェッショナルが極上の仕事をするという様相になっていくだろう。
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