営業マンなしで「年400万本」売れる焼肉たれの秘密 「戸村のたれ」なぜ小さな肉屋のたれが全国へ?

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―貴社の公式サイトを見ると「今も営業マンはいません」とありますが、周りの人たちが自主的に営業マンになったんですね。

そうです。当初はミヤチクだけでしたが、次はフンドーキンなど、いろんな業者さんが売らしてもらえんですかと。その人たちが営業をかけてくれて、さらに広がったという感じです。

それと「スーパーとむら」の存在も大きいですね。小さなお肉屋さんから始まった店は、1972年に法人化して戸村精肉本店になりました。1984年にはスーパーマーケット事業にも進出して木山に「スーパーとむら」の1号店を出しました(※現在は移転して油津店に)。スーパーを店舗展開していきまして、そうすると扱う品が多いので、いろんな業者が入ってきますよね。

その人たちが自分の商品を並べるときに「戸村本店の焼肉のたれ」を見るわけです。すると「うちにも売らせてくれんか」と、取引業者がさらに増えていきました。一番ポンと広がったのはそこだと思います。スーパーを展開することで取引先が飛躍的に伸びました。

売れていく中でラベルを作って貼るように。赤、緑、金の色は、会長の妻サチ子さんが着物好きで西陣織の帯から着想を得たそう。ラベルはできた当初のままで変わっていない(筆者撮影)

―日ごろの商売が自然と営業につながっていたんですね。

うちから売り込んだら「返品はきくの?」とか卸値とか、いろんな条件を交渉しないといけなくなります。でも取引業者から申し入れてもらえると、「この条件でなら卸せますよ」と伝えて判断してもらうだけでいい。リスクも減るのでありがたいんです。

そうして、スーパーの展開とたれがお互い相乗効果でどんどん成長していきました。さらに、牧場を運営して肉の生産も手がけたり、「堀川レストランとむら」を出して飲食も始めたりと大きく成長していきました。1990年には戸村フーズも設立して、たれ製造のための本格的な工場を建てました。

※編集部注 株式譲渡により2021年から戸村精肉本店をはじめとする系列会社は、株式会社マルミヤストアの完全子会社となっている。

―今はネットの口コミで広まったりしていますね。

今は、クックパッドなどのレシピサイトで、うちのたれを使ったレシピを乗せてくれている方がいます。そういったところでもまた知られていったようです。

「戸村本店の焼肉のたれ」にキュウリを一晩漬けこむレシピなど、僕たちが考えつかないようなレシピで紹介されているのもあって面白いですね。そういった情報も広まるのに影響していると思います。

たれ製造工場を少しずつ拡張して今や6代目

―これだけ事業が拡大していくと、たれ作りもペースアップしないといけないですよね。

私が入社した当時は、たれ作りはスーパーの2階で鍋で炊いて作っていました。たれをやかんに移して、やかんから容器に移して、キャップして木づちでぱんと打って出来上がり。それを並べてラベルを1枚ずつ貼っていった感じです。

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