現代社会では「自分らしさ」が不要とされる理由 ビジネスの論理に飲まれないための「ノイズ」

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三宅 香帆(みやけ かほ)/文芸評論家 1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。天狼院書店(京都天狼院)元店長。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)、『人生を狂わす名著50』(ライツ社刊)、『女の子の謎を解く』(笠間書院)『それを読むたび思い出す』(青土社)など著書多数)。
三宅 香帆(みやけ かほ)/文芸評論家 1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。天狼院書店(京都天狼院)元店長。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)、『人生を狂わす名著50』(ライツ社刊)、『女の子の謎を解く』(笠間書院)『それを読むたび思い出す』(青土社)など著書多数)。

三宅:今のお話を聞いて思ったのが、時に「ノイズ」はものすごい「人間的な魅力」に変わることがある、ということです。一般的には、例えば仕事をたくさんして、お金を持っている人が魅力的だと言われがちです。だけど、実はそうでもなくて、いろんな話ができたり、いろんな経験をしている人、あるいは何か変なことができる余裕のある人のほうが、他人にとっては魅力的に映ることがあったりします。

個人に限らず、例えば読み物や商品とかにも、ちょっとしたノイズなるものに惹きつけられることって、けっこうあるんじゃないか。そう私は思っていて。合理的で純度の高いものは早くて便利ではありますが、一方で、雑味の多いものが人を惹きつけることも、世の中には多いはずなんです。そういう意味で、一般的に必要だと言われているような条件以外の「ノイズ」と考えられているものが、意外と人々の生存戦略の一つになるのでは?と思ったりしますね。

ビジネス化した社会では「自分らしさ」は不要

舟津:なるほど。それは論文と本の違いを考えるとすごくよくわかりますね。

現代の論文って、無駄なことは書かずに、必要なことだけ論理でつなぐものが論文である、とされています。それは正しいんですよ。ところがそうすると、例えば執筆動機は基本的に書かないことになる。でも、すごく面白い論文があったとして、「この人、なんでこんなこと知ろうとしたの?」って気になったりしませんか?

三宅:気になりますね。

舟津:でも、論文だと無駄とされることを、本では書けるんですよ。本は執筆動機や背景を書くことも多いですから。そういう意味で、本はノイズや雑味が入っている媒体だからこそ、魅力的に映るところはあるのかなと思いますね。

私の本を読んだ知り合いには「自分が出すぎだろ」と言われることもあります(笑)。でも、私はむしろわざとやっているというか、その点が逆に本のいいところだと思っていますね。

本はいろんな解釈ができて、読み返すたびに感想が違ったりすることがあるのも、本自体がノイズを含んでいるからだとも考えられます。無駄を排除した、洗練された効率性もすぐれていますけど、それを補完するものとしてノイズの概念もやはり必要なのだと思います。

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