宮崎アニメに「蒸気機関車」が登場するワケ そこには、アニメ界の大物がいた
大塚さんは、昭和6年生まれ、島根県津和野町の出身で、東映動画創世記のころ入社。日本初カラー長編アニメ『白蛇伝』から、高畑勲さんの初監督作品として名高い『太陽の王子ホルスの大冒険』まで数多くの長編アニメーションを手掛けてきた。そのような『アニメの神様』みたいな人と一緒に仕事ができるうれしさでいっぱいだった。
当時から私は、休暇を利用して趣味で鉄道写真を撮り、各地の蒸気機関車を撮り歩いていた。私が撮ってきたD51や9600型機関車の写真を見て大塚さんは「いいねぇ、このキューロク(9600)はこの太いボイラーとちいちゃな動輪が特徴なんだ」と私の機関車写真を評価して下さった。
機関車がびっしりと描かれていた大塚さんのスケッチ
ある日、大塚さんが3冊の古い大学ノートに描かれたスケッチを見せて下さった。そのノートの中には大塚さんが昭和19~20年の中学生の頃に描いた蒸気機関車がびっしりと描かれていた。それも細部までリアルに描き、空襲を受け破壊された機関車や、日本に数台しか存在しなかった機関車もあり私は驚愕した。
戦争も末期の頃、大塚少年はノートと万年筆を持って汽車に乗り故郷の津和野から小郡、下関、北九州まで機関区を訪れて機関車のスケッチに没頭した。大塚少年の描く機関車は機関士や国鉄職員たちも魅せられた。大塚少年は「機関車絵のうまい子ども」として評判になり、機関区で食事をさせてもらい、機関車に乗って移動するなど汽車賃もタダでスケッチ旅行を続けたという。
「ボクのアニメーター人生は、この機関車絵からスタートした」と言う大塚さん。この細部にわたって描かれた機関車は、その後の『ルパン三世」のメカニック描写などに大きく影響し生かされている。
やがてAプロには高畑勲さん、宮崎駿さん、小田部羊一さん(『アルプスの少女ハイジ』のキャラクターデザイナー)たちも東映動画から移籍して大塚さんと一緒に仕事をすることになった。
宮崎駿さんは私の写真に対して「こんなもの撮っているより早くヨメさんもらえよ」と冷ややかなコメントを発していたが、宮崎さんの心の中にも機関車への憧れがあった。引退を決意した現役最後の作品『風立ちぬ』では迫力ある関東大震災の機関車走行シーンを描いている。このクラシックな機関車のデザインは大塚さんの助言であったという。
Aプロ時代の大塚・宮崎コンビは名作『パンダコパンダ』を生み、後に不朽の名作アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』(宮崎駿監督・大塚康生作画監督)を誕生させた。この作品のメカニック描写は大塚さんの「機関車絵」と根本的な部分でつながっていると信じている。
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