円安によって多くの日本人は再び豊かになる 今の円安に対して過剰に反応してはいけない

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

現在、製造業では「中国離れ」もあって国内回帰が促され、サービス輸出である訪日外国人によるインバウンド需要も大きく増えている。企業の価格競争力の高まりは、製造業に加えて観光サービスなどの国内企業にも広がっており、こうした状況が数年続けば経済成長率を長期的に高めるだろう。かつてアメリカの背中を追って経済成長していた40年前のような輝きを、日本経済が取り戻しても不思議ではない。

歴史を振り返ると、現在のように購買力平価対比で明らかに割安だった時期は1984年以来である。このときは1985年のプラザ合意前の1ドル=235円前後だったが、合意による円高を経て、1986年は1ドル=160円付近までに達する急激な円高が起きた。日本の製造業はプラザ合意後に価格競争力を失い、多くの製造業は海外現地への直接投資に活路を見出した。

足元の円安進行に過剰反応をすべきではないワケ

そして、円高への対応として、当時の政府は、拡張的な財政金融政策を講じた。ただ、この政策が経済活動を不安定にして株式・土地市場の壮大なバブルをもたらす一因になった。変動相場制のもとでは本来為替変動は避けられず、これを制御することはできない。国際金融のトリレンマが教える経済学の基本であるが、為替変動に配慮しすぎて金融政策運営に当時失敗したと位置付けられる。

現在のように、足元の円安進行に対して過剰に反応して、金融政策を引き締め方向に傾けることは、平成バブル期と同様、金融政策の判断ミスをもたらしかねないわけだ。

この意味で、円安進行を許容しつつ、日本銀行が2%の物価安定実現にむけて、腰を据えて政策運営を続けることが、日本経済にとって最善の策になる。そして、日本銀行による適切な円安許容姿勢が続けば、日本経済は今後5年以上にわたり、高成長を享受できるだろう、と筆者は考えている。

1990年代半ばからの日本経済の長期停滞期の経緯を、われわれは思い出すべきである。当時は日本だけがデフレに苦しんでいたわけだが、現在はこの流れが逆回転していると言えるからだ。

長期デフレが始まったきっかけは、1995年に1ドル=79円台まで急速に円高が進むなど、「苛烈な通貨高」が起きたことが大きかった。1995年時には、購買力平価と比べると実に2倍に近い超円高であり、必然的に多くの日本企業が価格競争力を失った。

関連記事
トピックボードAD
マーケットの人気記事