ミセス「コロンブス」MV大炎上への強烈な違和感 謝罪は迅速かつ的確なのに、なぜ公開に至った?
——と、ここまで一連の経緯を振り返ってきた。炎上後の対応が比較的適切に思えるからこそ、より際立ってくるのが、「なぜこのMVが公開に至ったのか」だ。謝罪文での大森さんの言葉を借りると、「意図と異なる形で線で繋がった時に何を連想させるのか」について、関係者全員が想像できなかったとすれば、悲しいかな「クリエイター集団としての敗北」と言わざるを得ない。
あらゆる歴史的文化への配慮は、いまやクリエイティブ表現に携わるうえで、なくてはならない要素だ。日本国内でも、その文脈から問題視された事例が、過去にいくつも存在する。
たとえば2016年には、アイドルグループ「欅坂46」の衣装が、ナチス・ドイツの軍服に似ているとして、アメリカのユダヤ系団体が抗議。運営側は「認識不足」を認めて謝罪し、総合プロデューサーの秋元康氏も「ありえない衣装でした。事前報告がなかったので、チェックもできませんでした」としつつ、監督不行き届きだったと謝罪した。
外国人へのステレオタイプが問題視された事例もある。2014年にANA(全日本空輸)が公開したテレビCMは、お笑い芸人が金髪のカツラに、高い付け鼻をしたシーンが「人種差別的だ」と問題視されて、放送中止となった。
国内の歴史も、当然ながら軽視できない。2021年に日本テレビの『スッキリ』で、お笑い芸人が、アイヌ民族について「あ、犬」と発言した件は、BPO(放送倫理・番組向上機構)が「明らかな差別感情を含んだもの」として、放送倫理違反との認識を示した。
いずれのケースも、大勢の人物がかかわっているはずのクリエイティブ表現にもかかわらず、炎上や社会問題に発展した。よく「三人寄れば文殊の知恵」と言うが、プロのクリエイター集団をもってしてもチェック機能に欠け、SNSなどの集合知をもって、初めて問題に気づくというのは、あまりにお粗末ではないか。
もう1つの疑問「大森さんだけ矢面に立たせてないか?」
そうした考え方から、今回のコロンブス問題を振り返ると、「そもそも類人猿を出す必要があったのか」との問いに至る。大森さんは、MVの初期構想として「年代別の歴史上の人物」「類人猿」「ホームパーティー」「楽しげなMV」を主なキーワードとして提案したと説明している。
おそらく、楽曲冒頭の「寄り道をした500万年前」との歌詞から着想を得たものと考えられるが、それ以降の歌詞には関連するフレーズは出てこない。懸念を感じていながらも、あえて類人猿を中心に据え続けるメリットはあったのだろうか。考えれば考えるほど、事前に回避できた「炎上」と思わざるを得ない。
大森さんが声明を出し、矢面に立つ覚悟を示したことで、むしろ「周囲の人々にも責任がある」と感じる。先ほど、ユニバーサルミュージックとProject-MGAは連名で謝罪文を出したと書いたが、個人名まで書かれているわけではない。会社なので、当たり前ではあるのだが、大森さんひとりでMVを作ったわけではないのもまた、事実だろう。
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