阪急が参画表明、日本と「マニラ都市鉄道」の40年 「オールジャパン」の限界露呈した建設の歴史

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

マニラのLRT1号線は、1984年に東南アジアで初めて開業した全線高架式の都市鉄道である。フェルナンド・ポー・ジュニア(ケソン市)駅―バクララン駅(パサイ市)間約20kmの路線で、マニラ首都圏を南北に結ぶ。

建設にあたり、一部はベルギーからの借款で賄われ、同国のBN(後にボンバルディアに買収)製車両が導入された。しかし、東南アジアの環境には合わず、車両、軌道ともに適切なメンテナンスも行われず稼働率が低下した。

マニラLRT1号線 BN製車両
マニラLRT1号線のBN製初代(1G)車両。2024年初の時点で営業運転から外れている(筆者撮影)

そのため、これまでに3度の円借款による改修が行われている。まず、1994年の「LRT1号線増強事業」(約98億円)では、丸紅がスイスのABBと組み、設備更新および韓国ヒュンダイ(現・ロテム)製の車両4両(2連接×4)編成7本を導入した。しかし、車両のトラブルが絶えず、大きな輸送力向上は実現しなかった。

マニラLRT1号線 韓国製車両
マニラLRT1号線のヒュンダイ製第2世代(2G)車両。円借款で導入されたが2024年初の時点で営業運転から外れている(筆者撮影)

次いで2000年には「LRT1号線増強事業II」(約223億円)として、住友商事と伊藤忠商事が受注し、日本(日本車両及び近畿車両)製車両を4両(2連接×4)編成12本を導入、地上設備の更新を三菱重工が行った。それでもラッシュ時間帯の混雑はかなりのもので、積み残しもしばしば発生していた。

マニラLRT1号線 第3世代車両
マニラLRT1号線の日本車両/近畿車両製第3世代(3G)車両。第4世代(4G)車両と共に活躍を続けている(筆者撮影)

日本関与の車両でやっと「あるべき姿」に

1号線の運行は2000年以降、運輸省(DOTr)の下局である軽量鉄道公社(LRTA)に移り、メンテナンスが外国企業に委託される時期を経て、2015年からは財閥系企業によって設立されたライトレール・マニラ・コーポレーション(Light Rail Manila Corporation、LRMC)がコンセッション契約により運行やメンテナンスを行い、LRTAは施設を保有するのみという体制に改められ、輸送安定性が向上した。2020年からLRMCに対して住友商事が出資参画している。

マニラ都市鉄道路線図

そして、3度目の円借款となるのが冒頭で触れた「マニラ首都圏大量旅客輸送システム拡張事業」だ。後述するLRT2号線の延伸と抱き合わせになっていた本事業で、1号線に対しては、車両調達及び南方延伸用の車両基地整備が盛り込まれている。120両という最大規模の車両増備はマニラ市民の悲願とも言えたが、そのデビューは借款契約締結から10年もの月日が流れた2023年7月まで遅れた。

2024年に入っても残る車両の納入が続いていたが、年初の時点では従来のBN製、ヒュンダイ製車両は営業運転から外れており、これはLRT1号線が日本製、または日本製機器を搭載した「日本の血」が入った車両に統一されたことを意味する。ラッシュ時には約3分間隔で運行されており、従来に比べて混雑が緩和された。雨漏りなどの初期トラブルには見舞われたものの、開業から40年、紆余曲折を経ながらも本来あるべき形に達したといえる。

関連記事
トピックボードAD
鉄道最前線の人気記事