戦争を始めた世界のエリートは自国民を守らない ミアシャイマー『大国政治の悲劇』が示す国家の自己保存

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ミアシャイマーは、ウクライナ戦争が起こったころからユーチューブといったネットメディアにさかんに登場してきたが、けっしてマスメディアで評価されることはなかった。

おそらく、それは彼のバック・パッシングといった議論が持つヤブ蛇効果の部分を指摘し、アメリカの好戦的な政府や大手メディアの意向を逆なでしたからであろう。

彼はこう語っている。

「多極構造が持つ究極の問題は、国家の誤算が発生しやすい点にある。多極構造は「ライバル国家の決意の強さ」や「相手側の同盟の強さ」などを国家に過少評価させてしまうことが多いからだ。このシステムの中の国家は、自国が敵に意思を強要するだけの軍事力を持っているとか、それが失敗したとしてもとりあえず戦闘で勝つことができると勘違いしてしまいがちなのだ。戦争は、ある国家が違う意見をもつ相手側の固い決意を過小評価した時に発生しやすい。国家がこのような勘違いをしたまま自分の意見を相手におしつけすぎ、そろそろ相手が降参するだろうと思ったときにはすでに不可避になっている、ということだ」(440ページ)

 

ウクライナ戦争が始まって2年が過ぎ、弱いと思ったロシア、そしてその背後にいるアジア、アフリカ諸国の同盟が意外に強いことにアメリカも気づいたはずだ。なぜアメリカは、このことにもっと早く気づかなかったのか。

そして実は今でも、それに気づいていないふしがある。それは長い間君臨してきた覇権国家が陥る慢心でもある。世界は21世紀になって大きく変わってしまったのである。

そして国家を構成する国民にとって不幸なことに、いずれの戦争においても、一度戦争を始めてしまえば始めた側の国家のエリートたちは国民が何人殺されようと停戦へと動きだすことはないということである。

国家は自己保存のために、国民という生き血を絞り出し、わが身を守るということなのである。この不幸な戦争がこのまま続くのだとすれば、これほど絶望的なことはない。

的場 昭弘 神奈川大学 名誉教授

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まとば・あきひろ / Akihiro Matoba

1952年宮崎県生まれ。慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済学博士。日本を代表するマルクス研究者。著書に『超訳「資本論」』全3巻(祥伝社新書)、『一週間de資本論』(NHK出版)、『マルクスだったらこう考える』『ネオ共産主義論』(以上光文社新書)、『未完のマルクス』(平凡社)、『マルクスに誘われて』『未来のプルードン』(以上亜紀書房)、『資本主義全史』(SB新書)。訳書にカール・マルクス『新訳 共産党宣言』(作品社)、ジャック・アタリ『世界精神マルクス』(藤原書店)、『希望と絶望の世界史』、『「19世紀」でわかる世界史講義』『資本主義がわかる「20世紀」世界史』など多数。

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