また、路上以外にも、例えば、当時は数が多かったゲームセンターにたむろする若者も多かっただろう。実際、私が他の記事で渋谷について書いた際のコメントの中に、「かつてはゲームセンターによくいたなあ」と回想するような声も多かった。
もちろん、こうした状況は「治安悪化」として、多くの人からは歓迎されないだろう。しかし、都市の中の「滞留行為」という点では、西武パルコが行った「ぶらぶらする街を作る」ことと似たような街の使われ方だったのではないか。
2000年代の変化で「滞留する街」ではなくなった渋谷
しかし、この状況に変化が訪れる。北田が指摘している通り、渋谷は、他の「プチ渋谷」と呼ばれるような街と似てきた。実際、渋谷は大手のチェーンストアなども目立ち始める。渋谷の街としての誘引力が下がったのである。「ぶらぶらする街」ではなく、単に「便利な街」になってきたのだ。
これに加えて、2001年には池田小事件、またそれに先立つ1995年にはオウム真理教による地下鉄サリン事件などもあり、治安に対する社会的不安が増大していた。このような流れの中で、都市において、人をたむろさせないような仕組みが増えていく。
建築史家の五十嵐太郎は、2000年代に起こったこうした都市の変化を「過防備都市」と呼んでいる。街の中で防犯カメラが増えたり、トイレを貸さない場所が増えたり、路上でたむろする人々を滞留させないような都市のことである。
例えば、このような流れの中で出てきたのが「排除ベンチ」などと呼ばれるもの。普通のベンチに、わざと仕切りをつけて眠れないようにしたり、座りにくくしたりしている。つまり、若者の「たむろ」が少なくなってきたということだ。
実際、中小のゲームセンターも数を減らしてきており、都市の中でたむろする空間が減ってきたと指摘できるだろう。
また、これは参考程度にしかならないが、「ジベタリアン」という単語の登場率を大手新聞4社について調べると、2003年あたりからぱったりと報道が切れる。一概には言えないが、街からジベタリアンがいなくなったのは、こうした傾向とも連動していると思われる。
このような複合的な要素の中で、渋谷は街の中をぶらぶらするわけでもなく、またたむろするような空間が潤沢にある場所でもなくなってきた。
総じて言えば、時間を潰すことができにくい街になってきたのである。
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