まもなく第1子を妊娠し、産休を取得する。運転士として働き始めてから1年半。その仕事は充実していて楽しかったが、実はこの時点で千野さん自身は、憧れの運転士になれたことに満足しており、仕事を辞めることさえ考えていた。
生まれた子どもはとにかくかわいくて、はかない存在だった。「こんなに小さい子を置いて仕事に出かけるなんて」というのが正直な気持ちだった。
ところが、その育休が明ける前に第2子を妊娠。小さな2人の子育てに追われる生活が始まると、やがて千野さんに心境の変化が現れる。「2人で遊んでいる姿を見て、これなら私が働きに出ても大丈夫かなと思い始めました」。
千野さんの頭にあったのは、日勤業務での復職だ。育休から復職した女性の先輩たちは駅勤務の日勤で時短勤務制度を利用して働いており、夜勤を伴う勤務をしている人はいない。子育てをしながら運転士として復職するなんて、頭の片隅にもそんなイメージはなかったのだ。
外堀を埋められて復職を決意
「運転士、いけるでしょ?全然大丈夫だよ」。ある日、復職を考え始めた千野さんに夫が言い放った。
夫はその頃、人事異動で日勤の管理業務に就いていたが、なぜか自信満々に、千野さんに運転士としての復職を促すようになった。そして、時をほぼ同じくして、神奈川県藤沢市に住む両親の自宅の隣が空き家となった。
「運転士やるなら、もちろん協力は惜しまないよ」
実家の両親もこう言い出した。川崎市に住む夫の両親も協力してくれるという。ここまで環境が整ってしまうと、あとは千野さん自身のやる気次第だった。周りから背中を押されて、ようやく千野さんの心も決まった。実家の隣に引っ越し、運転士として復職することになったのだ。
子どもたちは保育園に入園した。週の半分くらいは千野さんの母親が送り迎えを担当する。子どもたちは両親が帰宅するまで実家で過ごす。千野さんが泊まり勤務の日は、夫が子どもたちを実家に迎えに行き、3人で夜を過ごす。土日は夫が完全に主婦となって子どもたちの面倒を見る。家族のシフトがどうしても埋まらないときは、夫の両親が来てくれる。
親子水入らずで過ごしているときに、非情にも急な呼び出しの電話が入ることもある。子どもたちは残念そうな顔をするが、それは千野さんの使命だ。「台風で新幹線が止まっちゃったんだって。ママが行かないと新幹線が動かせないんだよ」。こう説得して隣の実家に預け、嵐の中を出かけていく。
勤務がない日には子どもたちが保育園に行っている間に、3日分の食事をまとめて作っておく。それは、千野さんが自分に課したタスクだ。「母に大きな負担をかけていることは承知しています。中でもいちばん大変なのが食事だと思うので、ここは必ず自分でなんとかやるようにしています」。
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