福島原発事故から13年、老いて荒野で農に帰る 福島・浪江町、避難指示が解除された地区の今

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「この先、決して明るくない農業にどうしてこだわるのですか」と尋ねると、「俺は昔からずっと農家で生きてきたから。土地は大事じゃないか、って思うんだ」との答えが返ってきた。先祖から受け継いだ土地を荒地から農地に復興することに政喜さんは残りの人生を捧げたいようだ。

しかしこうも言った。

「ほっとした。張り詰めていたものが切れたみたいだ」

家族を連れ、念願の帰郷を果たしたことで疲れがどっと出たようだ。12年間の避難の後の帰還は、74歳の政喜さんにそれほどまでにエネルギーを費やさせた。コメ作りは補助金をもらえば規模の拡大を約束させられ、借入金の返済などの足枷をはめられるので、もらわずに自分の土地に限ってぼちぼち始めたい、と言う。

「原発誘致して40、50年でしょう 。だから元に戻るのも40、50年、孫の代になるんじゃないか」

独特の勘定ぶりだが、孫の代の故郷を口にしたところに、未来を諦めない気持ちを感じた。

帰還困難区域の行方

帰還困難区域の未来は見えない。

今回、特定復興再生拠点区域として避難指示解除された浪江町の帰還困難区域の3地区のうち、室原では7世帯10人が居住を始めている。 隣接する末森地区では5世帯9人の高齢の農家などが、阿武隈高地にある津島地区では役場支所の隣にできた町営住宅中心に外来者も含む8世帯13人が戻ってきた(2024年2月末時点)。

原発事故以前、177世帯605人、178世帯302人、95世帯284人が住んでいたことを思えば、微々たる数字だ。

それでも町はスーパーのイオンと共同で日用品を運ぶ移動販売車による巡回サービスを行い、秋の連休には各地の避難先から元の住民を招いてバーべキュー大会を開くなど、住民の帰還促進を図っている。

そして2025年からは、帰還を希望する住民の住居周辺に限って除染する「特定帰還居住区域」の募集が始まる。

しかしこれまでに避難指示が解除された区域がそうであったように、子どもを抱える若い世代が積極的に戻ることは考えにくい。まして津島のように屋内でも通常の値の10倍近い空間放射線量の土地であればなおさらである。

戻るのは室原で会った二人の比較的年齢の若い高齢者とその家族のように、強烈に先祖伝来の土地と農のある暮らしに惹き寄せられた人々であろう。

ポツンと一軒家に暮らす老いた農民たちが再び大地に根付くために、国や社会はいかなる責任を果たすべきか。難問が残された。

七沢 潔 ジャーナリスト 中央大学法学部客員教授

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ななさわ きよし / Kiyoshi Nanasawa

1981年早稲田大学政治経済学部卒業後、NHKに入局。ディレクターとして主に沖縄、原発、戦争に関するドキュメンタリー番組を制作。長年にわたりチェルノブイリ、東海村、福島で起きた原子力事故を取材してきた。テレビ番組に『原発立地はこうして進む〜奥能登土地攻防戦』(1990年)、『チェルノブイリ隠された事故報告』(1994年)、『ネットワークでつくる放射能汚染地図〜福島原発事故から2ヶ月』(2011年)、著書に『原発事故を問う〜チェルノブイリから、もんじゅへ』(岩波新書、1996年)、『東海村臨界事故への道〜払われなかった安全コスト』(岩波書店、2005年)、『テレビと原発報道の60年』(彩流社、2016年)など。

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