春の旅行に最適「美しい街並みを堪能できる国」3選 フランス・オランダ、そしてランタンのあの国
狩猟小屋として造られた荘厳なシャンボール城、レオナルド・ダ・ヴィンチが招かれ隣の教会に彼の墓があるアンボワーズ城、ジャンヌ=ダルクが初めてシャルル王太子(のちのシャルル7世)に謁見したシノン城、ユグノー戦争時代に摂政として実権を握ったカトリーヌと関係の深い最も美しい(と私は思う)シュノンソー城があります。パリから日帰りで行けるので、パリ観光のついでに足をのばすのがオススメ。
政府はこれ以上の平民からの徴税は困難と判断し、特権身分である聖職者・貴族への課税を考えました。しかし、久しぶりに開いた三部会(身分制議会)にて対立した平民らが三部会から離脱し、国民議会を作ったことがフランス革命の予兆となり、1789年7月14日に起きたバスティーユ牢獄襲撃事件が革命の始まりとなったのです。ただ、フランス革命は、国王×議会の対立だけでなく、平民層も上層・中間・下層での対立構造をもつ階級闘争になっていきました。
急進派が政権を握ると、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットをはじめ多くの人が処刑されました。キリスト教も排斥されました。さらに、革命の波及を恐れた周辺国との対外戦争も始まったのです。結局、この恐怖政治(ラ・テレール:テロの語源)は長く続かず、まもなく中間層が支持する穏健共和政へと変わりますが、社会不安が増大する中、ナポレオン・ボナパルトが登場し、1804年に国民投票で皇帝に即位、第一帝政を開始しました。
当初は勝利を重ねましたが、ロシア遠征の失敗などを契機に最終的にワーテルローの戦いで破れ、南太平洋の孤島(セントヘレナ島)に流されてしまいました。同時に、ナポレオン戦争の処理としてウィーン会議が開かれ、フランスには再びブルボン朝が復活することになったのです。
フランス革命を肌で感じるならコンコルド広場へ。ギロチン台が置かれた場所が現在のコンコルド広場です。エジプトのルクソール神殿から運んできたオベリスクがそこに立てられています。オベリスクの後ろでライトアップされて輝くエッフェル塔も眺められる画角がベストショットです。
風車軍は、17世紀オランダの繁栄の象徴
ネーデルラントは「低地地域」を意味していて、現在のオランダ・ベルギー・ルクセンブルクにあたります。特にオランダは湿地帯が多く、中世半ばから始まった大開墾運動の一環として、水を汲み上げて干拓地を造るようになりました。これがきっかけで、海運業が繁栄し、17世紀は海洋国家を形成します。その後、運河に沿って、干拓地の排水を行うために18世紀頃からたくさんの風車が造られるようになりました。
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