批判も多い「LUUP」1日乗り倒して見えた長所短所 渋谷周辺の100ポート全部回ってみた【後編】
LUUPは2023年7月から「特定小型原付」という区分になり、この改正自体が道路交通法上異例のことであるらしいが、やはり社会全体で電動キックボード自体に対する位置付けを再認識し、交通ルールの徹底をはかるべきだろう。
LUUP自体が新しい交通手段であるため、こうしたことが起こるのは仕方がないことで、それはある意味で、LUUPが一般に浸透していく際の成長痛だともいえる。
LUUPの可能性はどこにあるか
ここまで、いくつかの項目に分けて、LUUPの実際について考えてきた。
最後に、LUUPをはじめとする、シェアリングサービスが形作る可能性について考えていきたいと思う。
LUUPを100カ所周り、ずっと使って思ったのは、「都市の見方」がLUUPによって変わってくる、という点だ。具体的には、ポートが路地の中にあることや、都市のスキマにあることもあって、路地や都市のスキマに対する感覚が鋭敏になる。
チェーンストアや再開発の影響で、都心部は特に「どこに行っても同じ風景だな」と思う人も増えているかもしれない。しかし、LUUPのポートになっているところは、本当に、そうした平板な都市空間の中に、ちょっとだけできた「スキマ」を発見させる。その結果、意外と街の中にもさまざまな空間があるんだな、ということが認識できるのだ。街に対する、新しい発見を促してくれるのかもしれない。
また、ここだったら、LUUPで走っても負担がなさそうだな、ということにも意識的になる。LUUP、意外と坂道で走るときにはちょっと不安定でおぼつかないところがあるから、それを加味して道を選ぶようになるのだ。それは歩行とも、自動車とも異なる目線から街を見ていることになる。
イアン・ボーデンは『スケートボーディング』という著作の中で、スケートボーダーたちは都市を「スケートボードができるかどうか」という視点で見ていることに触れ、そこに現れる独特の都市の見方に着目した。そういえば、LUUPもキックボードだから、スケートボードと似たところがあるかもしれない。
そのような、「LUUP目線の都市感」が生まれるかもしれないのである。LUUPによる都市感の変化は、今後も注視して考える必要があるだろう。
前編で、LUUPのポートが極小であるために、利用者同士でコミュニケーションが誕生することを指摘した。
それに関連して、この間、同じくLUUPを使用しているOさんに聞いたのだが、この人は、LUUPを使用するとき、そのポートが居酒屋の軒先にあったために、その居酒屋の店主の人と会話をしたそうである。
LUUPを介したコミュニケーションが誕生するのかもしれない。
私は、現在、香川県の丸亀と、東京の二拠点生活をしているのだが、LUUPのようなものが、香川にもできると便利だよな、と思った。
地方の郊外の場合、自宅からもっとも近いスーパーが2km先だったりして、車だとすぐなのだが、そのためだけに車を出すのもな……という場面もある。
また、高齢者の場合、免許を返納している場合もあり、そのときは自転車かコミュニティバスを使ってしかスーパーに行くことができない。高齢者の場合、自転車は体力的に厳しい場合もあるし、コミュニティバスは1時間に数本しか来ないため、こうしたLUUPのような乗り物が地方にあれば、非常に良いと思う。
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