コルトギャランは、1980年代から2000年代に三菱自動車の主力ミドルセダンとなった「ギャラン」の始祖となる存在だ。セダンやハードトップなどのボディ派生があり、その最上位的な存在としてファストバック・スタイルのクーペに「コルトギャランGTO」が用意された。
1970年代当時、ファストバック・スタイルは非常に人気が高かった。1960年代に大ヒットしたフォード「マスタング」が開拓者であり、そのフォロワーとして、数多くのファストバック車が生まれていたのだ。
その影響はアメリカだけでなく、日本にも及んでいた。トヨタのファストバックである初代セリカも1970年の誕生だ。
そんなファストバックの人気車のひとつに、GM(ゼネラルモーターズ)の「ポンティアックGTO」があった。のちに「マッスルカー」という高性能マシンの代表ともなる人気モデルだ。
タイミング的なものを考えると、コルトギャランGTOの名称は、ポンティアックGTOへのオマージュだったのだろう。
ちなみにコルトギャランは、ラリー車としても大活躍している。ただし、実際に参戦したのは軽量なセダンであり、ファストバックのGTOは競技車としてほとんど使われていない。
よく走り、丈夫で格好いいことから人気モデルとなったわけだ。今でも旧車ファンの間で根強い人気を保つ、日本の名車のひとつに数えられる。
三菱がスーパースポーツを投入した理由
次の疑問は、「なぜ三菱自動車がスーパースポーツを求めたの?」というものだ。これには当時の時代の空気と、三菱自動車の企業的な都合があったというのが理由だろう。
GTOの生まれた1990年は、バブル絶頂期であり、スポーツカーの人気も絶大だった。そんな中、ホンダのNSXを筆頭にライバル各社がスーパースポーツをリリースしている。三菱自動車は当時、そのホンダと業界3位の座を争っていた。だから、スーパースポーツをやらないなんてことは、考えられなかったのだ。
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